東三河/ 八幡砦



ファイルNo0125

今は消滅してしまった城跡

                          2003年発掘現場 土塁  

@ やはたとりで 
  別名 八幡村城

A住所:豊川市八幡町
B目標地点:三河国分寺跡
C形式:平城  D比高:ーーー 
E現況:宅地

F遺構等:土塁・(発掘現場)
G時代/人物: 戦国期/今川氏
H満足度:
凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  5分


J撮影・訪問時期:2003年9月・2004年9月

  

道案内 

東名高速道の豊川インタを下り、豊橋方面に出ます。すぐの豊川IC南の信号を右折し県道31号線に入り、音羽町方面に向かいます。1.5km先の四ツ屋の信号で左折、3.5km先の穂ノ原3西の信号で右折、200m先の市田町下中野の信号で左折し県道31号線に入ります。2km先八幡町横道西の信号で右折し県道5号線に入ります。500m先の亀ケ坪の信号で斜め右に入ります。300m先の竹下の信号を直進して県道377号線に入ります。「三河国分寺跡」の標識のところで左折、公民館に「三河国分寺跡」の碑がありますが、この裏手などに城のものか?土塁が残ります。 この国分寺跡の北側200mの新興住宅地で八幡砦の発掘調査がされておりました。
 
訪城備忘録

2003年の発掘調査では郭の土塁・堀・掘っ立て柱跡・井戸などが確認されます。2004年には隣接の地域が発掘調査されておりました。この時には2003年度の現場は整地され跡形が無くなっていました。このあたりは、道・宅地となり完全消滅です。

八幡村城の土塁?
<三河国分寺跡の碑>
歴史

今川氏(氏真)が東三河へ進出してくる松平元康(=徳川家康)に対する防御前線基地として構築されたもので、守将は板倉弾正重定が配されました。永禄五年(1562年)に松平氏勢酒井忠次が攻撃、板倉氏・佐脇砦の三浦左馬助義就・二連木城主の戸田康重・牛久保城主の牧野保成らが応戦しましたが、板倉氏は討ち取られ、八幡砦・佐脇砦は松平氏に落ちました (八幡砦発掘調査現地説明会資料より 豊川市教育委員会)

2003年発掘現場          2004年発掘現場
  

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