尾張 / 名古屋城



ファイルNo0638


                      東南隅櫓より天守を見る

@ なごやじょう 
  別名  

A住所: 名古屋市中区本丸 
B目標地点:
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:公園・官庁

F遺構等:現存櫓/門・復元天守・石垣・堀
        ・碑・説明板

G時代/人物: 江戸期/徳川氏
H満足度: 凸凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  有料駐車場より10分

J撮影・訪問時期:2004年04月・2005年06月
 2014年05月・12月 2018年06月
 2021年04月 他

  

道案内  ←駐車場の位置

名神高速道一宮インタから国道22号線で約18km先(都市高速に入っても行けますが)、鳥見町の信号で国道は右折です。さらに1km先、康生通2の信号で国道は斜め右折、約1.6km先の上更の信号で国道は左折です。約3km先の信号で左折し県道215号線(出来町通り)に入り、約200m先、名古屋城前の信号で左折した左手が正門前駐車場です。地下鉄なら市役所前(東山線)からです。

訪城備忘録

天守・本丸御殿は戦災で失われましたが、本丸西南隅櫓・東南隅櫓 御深井丸西北隅櫓(清洲櫓) 本丸表二の門 旧二の丸東二の門 大手二の門の建物が現存し、本丸御殿の障壁画などが(空襲に備え移動されていたため)残ります。天守・小天守は昭和三十四年(1959年)に鉄筋コンクリートにて外観のみ復元で再建されました。天守や本丸御殿は失われましたが、石垣だけでも風格は満点です。2004年4月6日(城の日)前の土日と当日は内堀に降りる事ができました。多数の刻紋のある石垣が見られ、いつもより急角度で見上げる天守石垣と天守は一段と迫力があります。2021年現在、耐震不足という事で大天守・小天守は入れなくなっています。木造建築による建て替え議論もありますがどうなることやら・・・。

2014年05月
久しぶりに訪城しました。本丸御殿の一部が復元され公開されて、1年経ちました。内部は、絢爛豪華という言葉が似合う内装です。

2018年06月
この月に本丸御殿が全面公開になりました。逆に天守は5月をもって閉鎖され、今は入ることができません。木造にて建て替えになります。

2021年04月
そめいよしのは終わり、八重桜の時期に再訪でした。2005年以来で天守からしゃちほこが下ろされてましたが、現物は地方に巡業に出ていて見られずでした。^^;
歴史

今川氏(今川氏豊)が築いた那古野城が前身となります。那古野城は今川氏から織田氏の支配となります。尾張の中心は清洲城でしたが、水害の多発と城下町の拡張性が無いことから、慶長十五年(1610年)に徳川家康が西国大名を中心に動員し天下普請にて築城を開始し4年後に完成させます。徳川義直が清洲城より移り、以後、尾張徳川家62万石の居城となりました。

名古屋城案内
本丸御殿越しに天守と小天守<いずれも復元・2018年>
表二之門と東南隅櫓
本丸御殿越しに天守と小天守<いずれも復元・2018年>
もっと名古屋城
内堀内より天守石垣     内堀内より天守
東南隅櫓より         那古野城城址碑
西南隅櫓(清州櫓)
西南隅櫓(申未櫓)     東南隅櫓(辰巳櫓)
本丸北側の凸状堀        二の丸と西之丸間の堀
     鵜の首         刻紋のある内堀の石垣
二の丸東二之門(本丸に移築)        清州石     
表二之門      鉄砲狭間
鯱の無い天守(2005年6月)
復元天守(本丸側から・本丸御殿の復元前)
  
復元本丸御殿
復元本丸御殿
 鯱のレプリカ           本丸御殿の車寄の屋根
復元本丸御殿
復元本丸御殿
復元本丸御殿
復元本丸御殿
復元本丸御殿
復元本丸御殿
復元本丸御殿
復元本丸御殿
二の丸東二の門(移築)     東南隅櫓(辰巳櫓)
西之丸と二の丸間の堀       西之丸土塁から外堀
天守
      鵜の首          なんじゃもんじゃの木と天守
清州櫓
清州櫓             鶴の首
  二の丸空堀         二の丸大手二の門
表二の門
表一ノ門桝形石垣
本丸御殿玄関越しの天守
本丸御殿
本丸御殿車寄せ
本丸御殿越しに小天守・大天守
本丸御殿
大天守
大天守と内堀側天守台石垣
西南隅櫓(申未櫓)
東南隅櫓(辰巳櫓)

近くの城・関連の城:清洲城 ※