尾張/ 河和城



ファイルNo0575

            空堀(2003年)           

① こうわじょう 
  別名  

②住所: 知多郡美浜町河和 
③目標地点:厚生病院の東側丘陵
④形式:丘城  ⑤比高:50m 
⑥現況:山林

⑦遺構等:郭・堀・土塁・説明板
⑧時代/人物: 戦国期/戸田氏
⑨満足度: 凸凸
⑩最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  厚生病院から10分

⑪撮影・訪問時期:2003年7月・2023年7月

  

道案内     ←登り口

半田市内より国道247号線で南下し、河和駅前の信号で右折し県道275号線に入ります。300m先で県道274号線と合流し(南知多道路美浜インタからは県道274号線で南下し美浜町役場東の信号で県道275号線と合流し右折になります。)600mほど進んだ左手に知多厚生病院がありますのでその手前で左折します。病院の東側の丘陵が城跡です。

訪城備忘録

病院手前で左折しすぐの二股道の右手を登り左カーブしながら登ると坂道に「河和城登り口」の標識があり、門柱のようになっている入口から中に入りと説明板の横に木の階段があります。(さらにその道を登り城跡の裏手の集落に回り込みますと城口観音があります。) 城跡に登る道は説明板より登ると主郭です。病院側の比高で20mほどの位置に横掘が明瞭に残っていました。この横掘は主郭部を巡り長く明瞭です。この横掘部分を伴う郭より主郭へは木の階段とロープが設置してあります。主郭は畑地になっていたようで遺構らしきものはありません。南側竹薮に土塁・堀の遺構も認められますが藪がきつくて入り込めませんでした。 20年ぶりに再訪しましたが、再整備され、説明板が新しくされ、標識など設置、登り口から主郭までの木の階段が設置されてますが、20年前と同じ月に訪城したんですが、今回はもう藪藪で主郭以外に行けませんでした。

説明板(2023年)
歴史

長禄年間(1457~1460年)に渥美半島田原の戸田氏の一族が築き居住しました。戸田守光は小田原の陣で討ち死にしたため廃城となりました。

横堀       2003年      横堀
主郭        2003年    城口観音
  
2023年7月の主郭の状態 この写真の右手奥に土塁の標識もあります
土塁

近くの城・関連の城:田原城 ※