西三河の城010  

                                                                               

坂崎城  0306
A額田郡幸田町坂崎神明西  B神明神社  C平城
岡崎市内から国道248号線で進み坂崎石ノ塔の信号を右折します。600m進み坂崎船附の信号を直進し県道483号を進みます。500m進んだ左手の安国寺を通り過ぎ交番が角にある所を右手の路地へ入ります。そこから500m進んだ右手に神明神社あります。ここが城跡です。

F遺構等:碑  G戦国期〜/天野氏  H満足度:凸
三河三奉行の一人である天野康景の居城です。天野氏は安影の祖父の代に三河へ来て松平清康に仕え、康景は家康の小姓として11歳から仕え、姉川・三方原の戦いで軍功をたてて関ヶ原合戦後に興国寺城1万石の大名となりますが、慶長十二年(1607年)に天領との領民争いから逐電してしまいまいた。

J訪城:2004/07
  
坂崎古城  0292
坂崎古城の土塁1

坂崎古城の土塁2
A額田郡幸田町坂崎平蔵脇   C平城
岡崎市内から国道248号線で進み坂崎石ノ塔の信号を右折します。600m進み坂崎船附の信号を直進し県道483号を進みます。500m進んだ左手の安国寺を通り過ぎ交番が角にある所を右手の路地へ入ります。そこから500m進んだ右手に神明神社あります。ここが坂崎城ですが、坂崎城である神明神社の西側の水路沿いを北へ100m程行った所が坂崎古城です。集落の北側はずれに土塁の痕跡と思われる高まりがあります。また、西側の田んぼは一段下がり堀跡のようです。
(または、国道23号線で蒲郡市内から幸田町に入り、JRさんがね駅前から1Km先で二股の深溝愛宕山の信号を斜め右に入り、国道248号線に入ります。5Km先の弁天の信号を左折します。700m先の坂崎柳原の信号を右折し400m先の交番にところで左折です。)

F遺構等:土塁  G戦国期/平岩氏  H満足度:凸   平岩氏が居城したといわれます。

J訪城:2004/07
   
幸田大草城  0652 
A額田郡幸田町大草 B正楽寺 C平城
岡崎市内から国道248号線で幸田町に進み大草寺西の信号を過ぎ300m先の正楽寺西の信号の左角に正楽寺があります。この寺が城跡です。城の遺構はありませんが、この寺には西郷稠頼の墓と三河三奉行だあった高力清長の墓があります。

F遺構等:碑  G南北朝期〜/西郷氏  H満足度:凸
三河守護代である西郷氏の居城です。松平氏が岡崎を治める前は西郷氏がこの地に勢力をもっていました。西郷氏は南北朝期に肥後から三河へ来て、稠頼(弾正左衛門清海入道)の時に正楽寺を菩提寺と大草城を西隣に築いたとされます。その後、1450年代には岡崎城を築きましたが、頼嗣の時、松平信光に攻められ、信光の五男の光重を婿にもらい大草松平氏と称しました。永禄六年(1563年)の三河一向一揆の際、大草松平氏の七郎昌久は大草城を拠点に一揆に加担しました。その後、まもなく廃城となりました。

J訪城:2002/07

久保田城  0653
空堀?

寺入り口
A 額田郡幸田町久保田 B聞入寺<廃寺>  C平城
岡崎市内から国道248号線で幸田町に進み大草寺西の信号を左折します。1.3kmほど進むと交差点の左角に聞入寺があります。(小さな石碑が建っています)ここが城跡です。朽ちた山門前が空堀のようになっています。本堂も荒れ果て廃寺のようです。

F遺構等:土塁?  G室町期〜/高橋氏  H満足度:凸
高橋氏代々の居城でした。永禄年間(1558〜1570年)に高橋半四郎宗正が家康に謀反の噂が流れたため、城を追放され大草で神官となりました。その後、大橋善五左衛門義重が入り、三河一向一揆の際は、石川平三郎正俊らがここに拠って一揆に加担したが、まもなく廃城となったようです。

J訪城:2004/07