西三河/ 小豆坂古戦場



ファイルNo1409

     古戦場の碑

@ あずきさかこせんじょう 
  別名 

A住所:岡崎市戸崎町 
B目標地点:光ケ丘女子高前交差点 
C形式:丘城  D比高:30m 
E現況:宅地 

F遺構等:碑・説明板 
G時代/人物:戦国期/
  織田氏×今川氏  織田氏×松平氏・今川氏
H満足度:
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  1分

J撮影・訪問時期:2006年05月

  
槍立松の碑

【道案内】 

東名高速道岡崎インタを下りて、国道1号線を岡崎中心部に進みます。国道に出てすぐの信号で左折し(交差)県道26号線に入ります。1.6Km先の光が丘女子高前の信号を過ぎて50m左手に古戦場碑、説明板があります。



【訪城備忘録】

県道沿いに古戦場碑、槍立松の碑、血洗池の碑が並び、説明板が立っています。槍立松の碑、血洗池跡の碑は別々のところにあったものをここに移したとの事です。

【歴史】

矢作川の東に進出を狙っていた織田信秀と松平清康が亡くなり、弱体化していた松平氏を支援していた今川義元が天文十一年(1542年)にこの地で合戦となりました。さらに、天文十七年(1548年)には松平広忠の居城の岡崎城に対し織田信秀が攻略を進めた際、広忠を支援した義元は大原雪斎を救援に向かわせ、両軍がこの地で合戦となりました。 永禄三年(1560年)の桶狭間の戦い後自立した松平(徳川)家康は、永禄七年(1564年)に、この地で一揆衆と戦い勝利し、三河一向一揆を収めました。



  
血洗池跡の碑
  
  

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