伊賀/ 百地丹波城



ファイルNo1135

伊賀の忍者の上人の代表格、百地氏の城

      北東虎口  

@ ももちたんばじょう 
  別名 

A住所:伊賀市喰代(ほおじろ)
    旧:上野市喰代 

B目標地点:青雲寺・永保寺 
C形式:丘城  D比高:30m 
E現況:山林・公園 

F遺構等:郭・土塁・虎口・堀・碑・説明板 
G時代/人物:室町期/百地氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  池の所から5分

J撮影・訪問時期:2004年06月・2017年07月
    2017年11月・2020年09月  他

  
南虎口より郭内

【道案内】 

名阪国道(国道25号線)の中瀬インタを下り、国道163号線に入り大山田方面に進みます。8Km先の大山田郵便局の先の信号(伊賀市大山田支所手前)を右折し県道56号線に入り服部川を渡ります。3.5Km先の喰代のバス停付近で県道は右カーブですが、そのまま直進します。500m直進したところで左の路地に入り道なりに400m戻る感じで進むと青雲寺手前の池のところに至ります。ここから案内標識に従い進みすぐです。 永保寺から徒歩でも行けます。



【訪城備忘録】

永保寺(旧:喰代分校跡)から徒歩で向かうと、猿軍団が行く手を警戒しています。池(丸形池)を左に、正面は青雲寺(百地氏の菩提寺)、右手が城跡主郭です。主要部は南側と北側に虎口があり主郭ややL字状に土塁が巡ります。高いところで4mくらいの高さのある土塁です。主郭東側には現在は畑地になっていますが郭跡があります。さらに往時は青雲寺の先まで城域であったようです。

【歴史】

室町期、伊賀の忍者の代表格である百地氏の本拠とされます。藤林氏、服部氏とともに三上人とされます。初代が百地丹波守秦光とされ、史料から天文十三年(1544年)にはその名が見え、この頃には伊賀の有力勢力になっていたとされます。天正九年(1581年)の織田信長の伊賀侵攻であり天正伊賀の乱では百地氏は名張の柏原に立て籠もり信長に抵抗しますが、その後の消息は不明とのことです。 <現地案内板より参考> 百地家は地を血に通ずるため、「ももち」から「ももじ」と読むようになり、ご子孫も現在も「ももじ」さんと言うそうです。

  
  
城址碑・後方主郭中心部
  
土塁
  
現地案内板より
  
主郭先端の土塁
主郭背後の堀
主郭背後の堀
主郭背後の堀        主郭背後の竪堀風堀
副郭の堀状          副郭の虎口?

近くの城・関連の城:百地三太夫屋敷(名張市竜口)

          

南虎口          土塁
空堀
主郭
主郭
丸形池