伊勢/ 鹿伏兎



ファイルNo1110

関氏一族鹿伏兎氏の城、虎口に石垣が残る

                           主郭下石垣 

@ かぶとじょう 
  別名 牛谷城・白鷹城

A住所:亀山市関町加太市場
    旧:鈴鹿郡関町

B目標地点:加太駅・神福寺 
C形式:山城  D比高:150m 
E現況:山林 

F遺構等:郭・土塁・石垣・井戸・説明板 
G時代/人物:南北朝期/鹿伏兎氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  神福寺より20分(360m)

J撮影・訪問時期:2006年01月・2018年10月

  
主郭虎口

【道案内】 

東名阪道亀山インタを下りて、国道1号線を鈴鹿峠・滋賀県側に進みます。3Km先m新所の信号で左折し国道25号線(旧道)に入ります。4Km先のJR関西本線加太駅に行き、線路を挟んで反対西側の神福寺に行きます。ここは鹿伏兎氏の菩提寺でここに説明板があります。この寺の裏手の斜面より登り、尾根を進むと城跡です。(または名阪国道(国道25号線)の向井インタを下り、北に進んで600m先が国道25号線旧道です。この先が加太駅です。)



【訪城備忘録】

2001年に一度訪城しましたが、夕暮れ近くで登ったため主郭に着いた頃には薄暗くなってしまっていたため、よく見られませんでした。前回は道案内の通りに進んだのですが、再訪は沢から道が無いのかと思い、寺の西側にある沢に入って見ましたが、途中で道が無くなってしまい、仕方が無いので右側尾根まで60mほど直登してしてしまいました。けっこう急斜面であせりました^^; 寺からは最初の急斜面を登り尾根を進み、さらに2度ほど急斜面を登ると城跡に至ります。さて、城跡ですが、山頂に土塁を巡らした主郭、北側には明瞭な虎口とその外側(主郭下)には高さ2m、長さ20mほど石垣が残ります。ここだけ石垣であるのは少し異常な感じはしますけど虎口付近の防御補強なんでしょう。ここも天正十一年(1583年)の小牧長久手の戦いの際に羽柴勢が改修してるんでしょう。主郭南東側一段下がったところの郭には石積みでいまも明瞭な井戸も残ります。主郭西側(虎口の南側)は土塁と言うよりピークになっており、櫓台としての機能をしていたと考えられます。主郭南側尾根は急斜面で、その先には削平地が二箇所ほど認められます。明瞭な堀切などでは無いですが人の手は加えられていると想像できます。石垣のある虎口から麓へ続く道はどこにでるのかと思って下りてみました。現在の登り道とは違う尾根を通り、石仏が並んでいる箇所を越え、結局は加太駅から300mほど西側の国道沿いに出ました。一応道にはなっていましたが、関西本線の線路をまたぎますし、冬場でも草木が多く、夏場は道がわからなくなると思われます。 なお、神福寺の石垣も城積みの石垣と伝えられるようです。


【歴史】

貞治六年(北朝元号)(1367年/正平二十二年)に関氏六代盛政の四男の盛宗がこの地を領して鹿伏兎氏を名乗り、盛宗あるいは二代定俊がこの地に城を築いて牛谷城と呼ばれました。七代定好の時に改修して鹿伏兎城と名を改めました。また、八代定長が天文十一年(1542年)に将軍足利義晴に白鷹を献上したことで白鷹城とも呼ばれました。 天正十一年(1583年)、九代定義は滝川氏に与したため、豊臣秀吉に破れ、城を退散しました。 <現地案内板より>



     
  
井戸
  
神福寺(居館跡)
  
主郭
主郭と土塁
主郭から尾根を見上げる
主郭全景と土塁
主郭から下の郭への通路(下の郭から)
下の郭      下の郭の井戸
虎口から主郭への通路土塁    虎口横の土塁
主郭虎口を外側から
 
主郭虎口をやや下から
主郭虎口下石垣を上から
主郭虎口石垣
主郭虎口石垣
神福寺     加太駅
  

近くの城・関連の城:鍛冶ケ坂城 亀山城 正法寺山荘