大和 藤井城



ファイルNo3719


             主郭背後の堀切               

@ ふじいじょう 
  別名 城 

A住所:天理市藤井町
B目標地点:三十八神社
C形式:丘城  D比高:20m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・土塁
G時代/人物:室町期/藤井氏?
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  神社から10分

J撮影・訪問時期:2021年02月

  

道案内 ←三十八神社   ←城跡

名阪国道の福住インタを下り、国道25号線に入ります。約10km先が天理ダムです。ダムを渡ると左折し県道247号線に入ります。約5km先藤井町内で県道は左折ですが、そこで右折(ほぼ直線です。)します。約200m先を左折し約50m先の右手斜め上が三十八神社です。神社の東側に見える丘陵先端部が城跡です。
 
訪城備忘録

城域は二カ所にあるようですが、明瞭なのは東側の「トノヤシキ」と呼ばれるところです。神社前の細道を東に入り、右手の丘陵先端部が城域です。麓の畑から藪状の斜面を約20m直登します。丘陵西側先端部に竹藪になってますが広い削平地になってます。削平地の東側に高い土塁があり、その背後に明瞭で深い、美しい堀切があります。堀切の東側に北側に郭南側に土塁の箇所があり、その東側にもう1条の堀切があります。主郭背後の堀切ほどの規模ではないですが、こちらも明瞭です。 三十八神社裏手上の台地が「ウエノマル」と呼ばれ、その背後は「ホンマル」と呼ばれるようですが遺構らしきものはないようです。

城跡を麓から
歴史

築城時期、築城者は定かでは無いですが、藤井氏の城と伝わるようです。

尾根側堀切     主郭背後堀切
「ウエノマル」を遠望
  
西端削平地        土塁
主郭背後の堀切
尾根側土塁と郭
主郭背後の堀切
尾根側堀切
尾根側堀切
仁興城(にご)  3178  

A住所:天理市下仁興町  C形式:丘城  D比高:30m? E現況:山林
F遺構等:説明板・郭?   G時代/人物:室町期/仁興氏  H満足度:
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:?分   J撮影・訪問時期:2021年02月

阪国道の福住インタを下り、国道25号線に入ります。約3km先の道沿い左手が苣原町の公民館です。苣原町の公民館から約1.2km先で左折し、約1kn先の左手に説明板があります。この背後の丘陵上が城跡?

新道が建設されたことにより城跡は消滅しているようです。 道沿いに大きな説明板が設置してあり、奥に入られるゲードがありますが、そこでもう藪で道もありません。直登して登ってみましたが、凄い藪で遺構らしいものはありませんでした。 資料では主郭の南西側に三重の堀切があったようですが、新道が貫通しているようです。

室町期の仁興氏の城であったようで、史料に英算、英勝、英裕の名かあるようです。<説明板抜粋>

説明板      丘陵東下削平地?
削平地?
説明板より発掘調査時の縄張図

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