大和 田原本陣屋



ファイルNo3042

               役場町民ホール側の説明碑             

@ たはらもとじんや 
  別名 平野氏陣屋 

A住所:磯城郡田原本町郭内・八幡町
B目標地点:田原本役場
C形式:平城  D比高:ーーm 
E現況:宅地・公共機関

F遺構等:説明板
G時代/人物:江戸期/平野氏
H満足度:
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  2分

J撮影・訪問時期:2016年01月・2021年12月
         2023年03月

  

道案内 

西名阪道の郡山インタを下り、国道24号線を大和高田市方面に進みます。約400m先、中町中川北の信号で斜め左に入り国道24号線旧道に入ります。約6km先、阪手北の信号を右折し、約200m先の高橋を渡ると左手が田原本町役場です。役場入口から約100m先を左折し約150m先の左手町民ホール手前に陣屋の説明板があります。さらに、約200m先に説明板などがあります。 ここの変則十字路を右折し約150m先を左折すると本誓寺・浄照寺です。田原本町中心内は道が狭く車の走行には注意してください。
 
訪城備忘録

役場の南側地域が陣屋跡ですが宅地になっており遺構はないです。浄照寺、長顕寺の山門は伏見城からの移築とされています。

浄照寺説明碑
歴史

平野長泰は賤ケ岳の戦いの七本槍のひとりです。三千石で近江に知行を拝領し、文禄四年(1595年)、五千石に加増された長泰でしたが、伏見屋敷に詰めていて領地には入らなかったため、教行寺に領地の経営を委託していました。江戸期に入り、長泰は江戸詰めとし、寛永五年(1628年)に長泰が死去し、二代目長勝が陣屋を築造、教行寺と争論となり、教行寺は退去し、跡地には慶安四年(1651年)に現在の浄照寺と本誓寺が建立されました。長勝は江戸幕府より門を拝領し、浄照寺山としました。長顕寺の山門も同時期のようです。平野家はこの地で明治維新まで続き、明治二年(1869年)、実高一万石に修正し大名に列されました。

郭内地区説明板
現地説明板より
  
浄照寺(高麗門が山門で伏見城移築建物)
浄照寺長屋門と太鼓楼
浄照寺本堂
    本誓寺山門            平野長発(左)・平野長勝(右)霊屋
田原本町
長顕寺山門(伏見城移築)
保津環濠集落 3043 
@ほつかんごうしゅうらく
A住所:磯城郡田原本町保田 B目標地点:鏡作伊多神社 F遺構:堀・説明板 G時代/人物:室町期/ーー氏  H満足度: 凸 I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:2分 J撮影・訪問時期:2016年01月

北側に説明板があり、かろうじて集落を巡る水路が当時の環濠集落の面影を残します。

説明板       環濠の痕跡水路

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