大和 赤尾城



ファイルNo2284

               堀切  

@ あかおじょう 
  別名 

A住所:桜井市赤尾
B目標地点:国道166号線の忍坂の信号
C形式:丘城  D比高:40m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀・堀切・土塁
G時代/人物:南北朝期/南朝方
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  忍坂の信号から10分

J撮影・訪問時期:2009年09月

  

道案内 

西名阪道の天理インタを下り、国道169号線を南下します。21km先の阿部の信号で左折し国道165号線に入ります。3km先の外山の信号で斜め右折し国道166号線に入ります。600m先の忍坂の信号で右折します。曲がってから小さな橋を渡り直進すると住宅団地ですが、橋を渡ってすぐに左折します。250m先の集落内の山すそが登城道のあぜ道ですが、集落内は車が停められませんので、住宅団地の集会所などに停めさせていただくがいいかと思います。

訪城備忘録

夕方の訪城ではありましたが、竹林は主郭部を除き藪にはなっておらず、なんとか見学できました。あぜ道から竹林に入り、斜面の右手に細い道が登っています。東の堀切側に至ります。なかなか鋭角ではっきりした堀切です。副郭の東下から左手に廻り込むと、副郭の南に二重堀切が見られます。副郭から北側が主郭です。主郭と副郭の間ですが。副郭を巡る堀と主郭を巡る堀が二重にあります。変わった構造です。主郭とその北側は藪状態で見ることができませんでした。主郭の東下には土塁の持つ通路のような区域がありますが、主郭への城道のようです。小ぶりながら遺構がおもしろい城跡でした。

城跡遠景
歴史

南北朝期の興国二年(1341年)<北朝で暦応四年>に南朝方の高階義岑と弟の西阿(戒重西阿)が築いたとされます。しかし、その年に北朝方に攻められ落城したとされます。その後、戦国期に陣城として使われ、その際に改修されたと考えられます。


二重堀切(外側)
主郭の堀          副郭の堀と土塁
土塁と副郭         二重堀切(手前)
主郭北側下堀と土塁       主郭と副郭の間の堀を下から
  
集落側    登城道のあぜ道  城跡の入口

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