大和 笠間城



ファイルNo2229

                            

@ かさまじょう 
  別名  

A住所:宇陀市室生区下笠間
    旧:宇陀郡室生村

B目標地点:春覚寺
C形式:丘城  D比高:40m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀・堀切・土塁
G時代/人物:室町期?/下笠間氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  県道から15分
J撮影・訪問時期:2009年08月

  

道案内 

名阪国道(国道25号線)の針インタで下り、国道369号線を南下します。4.3km先の外の橋の信号で左折し県道28号線に入ります。700m先の信号で左折し県道127号線に入ります。途中(2.2km先)、梁田地区で県道127号線は左手方向になりますが、そのまま道は県道781号線となって進みます。 梁田地区から6.5km先、上笠間でのY字二股を左手に進み、県道782号線に入ります。3km先左手が下笠間集落です。

訪城備忘録

城跡は下笠間集落の右手(北東)の丘陵上にあります。県道127号線側・県道781号線側から来ると左手斜面に下笠間集落を見ながら通り過ぎます。集落端で左折し集落内に入る道が有ります。左折して、次の左カーブから先は道が細いので車の駐車場所がありません。最初の左折した周辺で車を止めさせていただいて徒歩で向かう方がいいです。二つ目の左カーブから100mほどで右折し登る道が有ります。100mほど先の右手が春覚寺です。寺を越えて50mほどで右折すると大土塁のような土壇が見えます。上は墓地です。これを巻くように進むと右手に貯水池があり、さらに直進すると、民家の裏手が砂防壁となっていて、これの山側を登ると城跡に至ります。城址は丘陵尾根上の南北両端が堀切で遮断された区域で、コの字形状で郭があります。尾根上のコの字の郭が主郭部、西側尾根下のコの字の領域が段郭部分になっていて、段郭は3段くらいづつありました。段郭南側は竹やぶで地形が崩されていますが、堀形状が認められ、下の段郭に入るところは土橋的な感じが残っていました。東側は主郭下に横堀が巡り、南北の堀切と連結していて、横堀の真ん中は虎口形状になっています。これは堀底道になっているようです。南側にはすぐにもうひとつ堀切があって、尾根先端との遮断をしています。小規模の城ながら技巧的な城であり、単純な館城ではない、拠点の城を感じさせる城でした。

歴史

築城時期は定かではないですが、下笠間氏の居城と伝わります。東山内衆の一家で、応仁の乱の頃は古市氏に従い、その後、筒井氏が大和を治めると筒井氏に属したとされます。天正九年(1581年)の天正伊賀の乱に参加し一族全員が討死してしまい、笠間城もこの頃廃城なったと考えられます。

背後の横堀(堀底道)
尾根下郭から尾根(主郭)を見上げる    尾根上の北側の郭の土塁   
北側堀切        虎口形状
横堀(虎口から南側を見る。折れが入った空堀)     城跡遠景       
  

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