大和/ 椿尾上城



ファイルNo2171

筒井氏の山の本城

                         二の郭上段北側石垣   

@ つばおかみじょう 
  別名 椿尾城 

A住所:奈良市北椿尾町
B目標地点:城山
C形式:山城  D比高:100m<登城口から> 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・畝状竪堀・土塁・石垣
G時代/人物:戦国期/筒井氏
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  林道登城口から15分

J撮影・訪問時期:2009年06月・2021年02月

  

道案内 ←登城口

西名阪道五ケ谷インタを下り、標識に従い(中畑町・米谷町)中畑町側へ進みます。700m先で中畑町のバス停で、直進すると中畑町の集落ですが、左折して、県道187号線に合流し坂を北に向かって進みます。中畑町バス停から見た場合左側の尾根道を進み、数件の集落を越えると西名阪のガードをくぐります。そこから1kmで車道は行き止まりです。ここの左手にコンクリート道が続いています。この道は途中分岐が2箇所ありますが、2箇所とも左手へ進みます。 登城口から10分ほどで3箇所目の分岐で、右手方向に登ります。ここからすぐに二の郭に到達します。 3箇所目の分岐を左手方向に行くと右手に畝状竪堀が見られます。(この道は、ここから1.4km先の椿尾下城まで続いているようです。 <道案内の写真は下段に>)

訪城備忘録

最後の分岐を登るとすぐに二の郭に到達します。<地元の小学校が立てたようですが、二の丸という標識があります。←2021年現在は無くなったようです。> 大きな郭が上下二段、段郭が西側に広がっています。上段の郭の切岸には石垣が残存しており、往時は石垣が周囲を巡っていたようです。上段の郭の西・北側には折れの入った横堀があり、横堀の外側が5mを下り、また郭がありました。上段の郭は土塁が巡り、東側が大きく凹んでいます。空堀の食い込みか?、虎口の跡?なんでしょうか? さらに、二の郭の西側尾根にも郭が広がっています。

二の郭の東には高いピークがあり、その先に深い堀切があります。堀切の反対側ピークには二段の郭、左手に小さな石碑があります。左手に進むと主郭です。主郭虎口は土橋が架かり、右手(南側)に堀があり、左手は段下に郭があります。主郭には稲荷があります。郭内は荒れていますが、鳥居は新調されてました。周囲を土塁が巡ります。主郭は二の郭を含む他の城域とは独立して砲台のようになっていて、土橋で結ばれているという感じでした。主郭の北・西は急斜面で大きな竪堀が確認できます。主郭周囲は戦闘的な配置、二の郭周囲は居住性を感じる配置です。ただ。二の郭の南斜面には竪堀群があり、防備を感じます。最後のY字分岐の林道を左手に少し行くと右手斜面にその竪堀のひとつが見られました。

歴史

築城年代は定かではありませんが、天文年間(1532〜55年)の筒井順興・順昭が当主の時代に 平野の筒井城に対して、山ノ城として、筒井氏の拠点して築かれた城のようです。史料では天文十年(1541年)に山ノ城の記事があるようです。天文十九年(1550年)に順昭が死去し、幼い順慶が後を継ぎますが、永禄二年(1559年)に松永久秀に攻められ筒井城は落城し、椿尾(上)城を拠点に反抗したと伝わります。天正五年(1577年)に松永久秀が滅び、天正八年(1580年)に織田信長の大和一城令の命で、順慶は郡山城を居城としたため、椿尾(上)城も廃城になったと考えられます。

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二の郭北側切岸残存石垣
二の郭北側を巡る横堀
主郭虎口の空堀と土橋
大堀切
二の郭上段の郭と土塁・残存石垣と堀      畝状竪堀    
     二の郭        二の郭上段南切岸の石垣
二の郭上段北側空堀
二の郭北側空堀(上から)   二の郭櫓台土塁 
   主郭        主郭西側下竪堀
 竪堀群の明瞭な竪堀      竪堀群下の虎口?土塁
道案内
中畑町バス停から城跡方面               登城口
(写真の左手方向に進み尾根に登ります。)             (左のコンクリート道を登ります)   
林道の分かれ道(左手へ)           城跡への入り口(右手へ)
   (轍のある道を進みます)              (右手の鎖がしてある道を登ります。左手は下城へ)
城跡近くからの夕陽

近くの城・関連の城:椿尾下城