大和 福住中定城



ファイルNo2169

      北側堀切    

@ ふくずみなかさだじょう 
  別名 福住館 

A住所:天理市福住町
B目標地点:中定公民館
C形式:丘城  D比高:30m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀・堀切・竪堀・土塁
G時代/人物:戦国期/福住氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  麓から10分

J撮影・訪問時期:2009年06月・2022年05月

  

道案内 

名阪国道(国道25号線)の福住インタを下り、信号を右折し国道25号線(下道)を進みます。約1.2km先、左手の福住公民館手前を右折します。約400m先の右手、妙成寺の先に小さな社があり、ここの先に登城道があります。
 
訪城備忘録

祠の奥側から登って行き、見上げると見るからに城跡と言う光景です。 南に独立した副郭があり、現在は神社があります。神社の背後が土塁になっていてその背後は主郭との堀切状で、片方はそのまま西側に下って行き、主要部の南側から西側を巡る横堀になってます。この横堀は主郭の西側下では帯郭状になってます。ここから主郭を見上げると切岸が立ってますね。 副郭との堀切を越えた先は主郭とそれに付属する郭という事になります。副郭から入ったところは北側の主郭と西側に比べて窪んでいる空間なります。西側は不明瞭な段郭状で、先端下に前述の横堀が巡ります。主郭は大きな丸という感じで北側に大きな土塁があってその西側は少し張り出した櫓台になっている感じです。主郭の北側下には堀切があります。途中で折れのある堀切です。残念ながら窪地の郭と主郭は笹藪がきついです。全体には小規模で居館というイメージですが、独立した副郭は馬出の機能があるという捉え方があるようで、また、主郭の張り出し土塁など後期の改修が考えられるとの事です。

(五大明王社)左手茂みが登城口
歴史

築城時期は定かではないようですが、応仁の乱前には史料にこの城の名があるようです。福住氏の居館であったようです。 筒井氏に従いました。その後、福住井之市城も築城され、井之市城は詰め城、あるいは、新城と見られます。しかし、今残る遺構から中定城も戦国後期に改修されたようです。

左端:城跡標識 登り口
  北側堀切        主郭
主要部西下横堀
  
城跡を下から
副郭と土塁
副郭と主郭の間の堀切
西側    主郭付属の郭   副郭側
西斜面の不明瞭な郭       主郭    
主要部西下横堀
主要部西下横堀
主要部西下横堀の下       主要部を見上げる(切岸)
横堀から繋がる帯郭と主要部切岸
帯郭から北側堀切からの竪堀を見る
北側堀切
北側堀切
北側堀切の折れ部

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