大和 馬場城



ファイルNo2098

                 北側から西に伸びる尾根の根元の堀切  

@ ばばじょう 
  別名 山田新城 

A住所:奈良市都祁馬場町
     元:山辺郡都祁村

B目標地点:
C形式:山城  D比高:140m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・竪堀・土塁・石垣・説明板
G時代/人物:戦国期/山田氏
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  住宅団地上(比高50m)から8分

J撮影・訪問時期:2009年06月・2023年03月

  

道案内 

名阪道針インターを下り、国道369号線を北上、柳生方面に進みます。4km先右手の山すそに馬場城の説明板が立っています。この説明板の横の道を登ると住宅団地に入り、この一番上まで行きます。一番上はT字になっていて、右手へ行き、いったん下りてすぐを逆V字に登っていきます。途中、分岐の道は右手方向に進み、5分ほどで主要部下の郭及び堀切の所に至り、逆Vでもう少し登ると主要部に至ります。
 
訪城備忘録

山の斜面7合目くらいまで住宅団地が造成されています。この団地の一番上から山道を少し登れば城跡です。斜面は開発されていますが、城跡はほぼ完存ですね。城は土塁は無く、主郭を中心に、北、西、東と尾根に段郭を配し、今も切岸は高く、さらに、西側に伸びる尾根上の堀切、主郭西下の石垣遺構、その下の竪堀二条など、なかなか見応えのある城でした。

2023年に久しぶりに訪城しましたが、ほとんど遺構の記憶が残ってない^^; 何故が住宅団地の方が記憶に残ってる状態でした。^^; こんなに笹薮だったっけと思うほど、一面が笹に覆われていました。笹薮漕ぎ状態でしたわ。陽が当たりにくい北側斜面のみ笹が少ないという状態です。堀切も笹で形状がわかるくらいという有様です。なんとか石垣と、二条の堅堀はしっかりと見られたという感じです。


説明板
歴史

天文年間(1532〜55年)から永禄年間(1558〜70年)の間で山田順貞(としさだ)<道安>が築き、山田の岩掛城から本拠を移したとされます。山田道安は天正三年(1575年)没しました。なお、筒井順慶の母親は道安の娘です。

主郭西側下石垣
主郭北西下大きな二条の堅堀
北尾根堀切
地理院地図より
2009年
北から伸びる尾根上の中間点の堀切          二条の大堅堀(上から)    
主要部
石列遺構(主郭下)
城跡遠望      南端堀切
2023年
主郭(左手)と北側
主郭(右手)切岸
主郭西側切岸
主郭北側石垣
主郭
主郭西下石垣
主郭西下石垣
主郭西下石垣
主郭北西下大きな二条の堅堀
主郭北西下大きな二条の堅堀
北尾根の堀切
北尾根中間堀切
北尾根先端側堀切(上から)
主郭東側切岸
東尾根段郭と切岸
東側下堅堀

近くの城・関連の城:岩掛城