紀州 三段壁洞窟



ファイルNo2025

熊野水軍の船隠し場と言われる

               海への出口             

@ さんだんへきどうくつ 
  別名 

A住所:西牟婁郡白浜町三段
B目標地点:三段壁
C形式:ーー  D比高:36m 
E現況:観光地

F遺構等:ーー
G時代/人物:平安期?/熊野水軍
H満足度: 番外:凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  ーー

J撮影・訪問時期:2008年11月

  

道案内 

紀勢自動車道の南紀白浜インタを下り、国道42号線を横切り直進します。約4km先、才野ランプで側道に入り、約1km先の権現谷東の信号左折し県道34号線に入ります。南紀白浜空港下の地下道を通り、約6km先が三段壁です。
 
訪城備忘録

白浜の観光地です。三段壁にある洞窟は三段壁上部から36m下にありますがエレベータで降りられます。熊野水軍が船を隠した場所と伝えられ、番所もあったとされて、それも模擬復元されています。

三段壁遠望(南壁柱状節理)
歴史

平安末期に熊野灘から瀬戸内に勢力をもった水軍で別名は熊野海賊です。熊野水軍は熊野別当の元に統括されていました。熊野別当は熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)を統括するものでした。熊野別当家は平安末期に田辺別当系と新宮別当系に分かれつつありました。田辺別当家は平家に新宮別当家は源氏に縁があり、熊野水軍は平家と源氏とどちらにつくか迷いましたが、最終的には源氏方として活躍しました。鎌倉期末までは活躍するものの室町期は衰退したようです。熊野水軍の系統としては日置川の安宅氏、すさみの周参見(すさみ)氏、新宮の鵜殿氏、尾鷲の九鬼氏、向井氏があるようです。戦国期は新宮別当家の流れの堀内氏(氏善)が熊野水軍を統括しました。堀内氏は関ケ原の戦いで西軍についたため没落しました。

洞窟内
千畳敷       円月島
  

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