丹波 油井城



ファイルNo3968

酒井氏党の城

               二の郭と三の郭の間の堀切             

@ あぶらいじょう 
  別名 尾の上城 

A住所:丹波篠山市油井
B目標地点:
C形式:山城  D比高:70m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・堅堀・土塁・石積み?
G時代/人物:戦国期/酒井氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  20分

J撮影・訪問時期:2023年09月

  

道案内     ←登り口

舞鶴若狭自動車道の丹南篠山口インタで下り、県道94号線に左折し篠山市中心部に進みます。約700Km先の味間新の信号で左折し国道176号線に入ります。約5.5Km先で右の波賀野の信号で右折し国道372号線と合流します。約1.2km先古市の信号で直線し国道176号線を進みます。(右折は国道372号線です。) 約2Km先、武庫川の橋の手前で左折します。約100m先に電気線が張ってある橋を越えて、約100m先の山裾で逆V状に左に入り山裾を約200mほど進んで右手の山へ入り斜面を登ります。約5mほど登ると昔の道が現れます。ほとんで消えかかった道ですが、これで山頂へ向かって登ります。すぐに小規模な段郭群があり、その上、斜面を登ると三の郭があります。

油井は「ゆい」ではなく「あぶらい」と読むそうです
訪城備忘録

登城ルートの南の斜面の登り口までは田んぼの電柵沿いの山裾の小道を進みますが、夏場は草が多いです。斜面に入ると下草はなく、5mほど登ると昔の道が出てきます。もう消えそうな道ですが、なんとかわかりますのでこれを頼りに登っていきます。

斜面の道を登って、最初に三段ほどの小郭の段郭があり、その上の斜面を登ると三の郭ですが、三の郭下斜面に石積みに思える石がありますが確証はないです。三の郭は相当に広いです。三の郭中央西斜面下を見ると堅堀状の窪みが見えますがどうでしょうか。三の丸の背後には明瞭な堀切が横たわっています。二の郭側が高く、中央に巨石が落ち込んでましたが、この巨石、どこから落ちて来たんだろうか?堀切の両サイドは堅堀として落ちています。

堀切を登ると二の郭です。二の郭端(堀切側)には低く土塁痕のような盛り上がりが三日月状にあります。二の郭も結構広いです。二の郭背後の切岸は両サイドがスロープ状になってますが、往時からそうなってたんだろうか。

二の丸背後から主郭までの斜面にはわりとしっかりとした段郭が続きます。主郭下の段郭群最後の郭は一番しっかりした郭です。主郭も相当に広いです。土塁等は無く、東西斜面を見ましたが急斜面でした。北側斜面は尾根になっていますが、結構急な感じでした。主郭には文字が消えかかった供養塔があります。酒井氏の子孫が建てられたもののようです。

堀切・土塁などの防御遺構は少ないですが、主要郭は相当の広さのある城でした。居住性のある城と言うことでしょうか?

城跡遠望
歴史

この一帯、酒井庄に勢力のあった酒井氏の城の一つです。天文年間(1532〜54年)に酒井幸貞が築いたとされるようです。酒井氏は承久の乱(1221年)の戦功により酒井荘を与えられ酒井正親がこの地に移住したとされるようです。その後、栗栖野酒井氏、矢代酒井氏、油井酒井氏、初田酒井氏に分立したようです。酒井党と呼ばれ、波多野氏に従ったようです。天正六年(1587年)、明智光秀の八上城、波多野氏攻めの際、油井城では酒井佐渡守重貞の嫡男の上野介秀正(氏盛)が抗戦したようです。重貞、秀正は八上城で討死したようで、油井城も落城したようです。重貞の三男が帰農し、江戸期に子孫が主郭に供養塔を建てたようです。

二の郭    主郭
  
登り口まで
斜面の石積み??
斜面の石積み??
三の郭西側堅堀?     三の郭      
三の郭
二の郭と三の郭の間の堀切 
二の郭と三の郭の間の堀切 
二の郭斜面から堀切を見る 
二の郭端の土塁痕?
二の郭
二の郭背後の切岸
二の郭背後の切岸
段郭群の郭
段郭群の郭
主郭下の郭
主郭
主郭と酒井氏の供養塔
主郭北側斜面

近くの城・関連の城:栗栖野城 南矢代城 大沢城 初田館