播磨 篠ノ丸城



ファイルNo2931

居住性のある山城ながら三連続の堀切は必見

               連続堀切のひとつ

@ ささのまるじょう 
  別名 広瀬城・山崎の城 篠の丸城 

A住所:宍栗市山崎町上寺〜横須
    旧:宍粟郡山崎町
B目標地点:最上山公園の北側の山

C形式:山城  D比高:250m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・畝状竪堀・土塁・碑・説明板
G時代/人物:南北朝期/赤松氏氏
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  登り口から20分

J撮影・訪問時期:2015年01月

  

道案内 ←登り口   ←城跡

中国自動車道山崎インタを下り、国道29号線を北に進みます。約1.5km先、しそう農協前の信号で左折します。150m先のT字で左折し、すぐを右折します。300m先で県道429号線を横切り、直進です。ここから道なりに山道を約1.6km先、左手に駐車場があり、そこのエアピンカーブから100m先に城跡への登り口になります。

 
訪城備忘録

山腹の駐車場からの比高は150mほどでしょうか。しっかりした登城道が付いています。城域に入ると南東の段郭が木々が伐採してあり山崎の町、周辺の山々が一望できます。これも大河ドラマの恩恵でしょうねぇ。主郭は居館らしい方形の形で、南と西側に空堀が巡り、土塁が周囲を巡っています。西の尾根は二の郭・三の郭と平坦地が続き、三の郭には東屋が建っており、北側には畝状竪堀が見られ、遠くには長水城が遠望できます。この畝状竪堀、三の郭から二の郭、北側段郭の斜面に多く存在しますが、相当に風化しているというか不明瞭すぎるもので、これでは防御施設にはならないなっていう感じです。その点、三の郭の西下にある三連続堀切は今もシャープで土橋も残り見応えがあります。主郭の北側斜面には段郭群が続きます。これは後世のものなのかもしれませんが、主要郭(主郭から二、三の郭、北の段郭群までをほぼ一周する帯郭が巡っています。

登り口の石碑
歴史

南北朝期に赤松顕則(円心の二男の貞範の子)が築いたとされます。赤松氏は嘉吉元年(1441年)でいったん没落、その時、篠ノ丸城は赤松氏一族の広瀬満親が城主でしたが、幕府軍に攻められ落城したようです。、赤松政則が赤松氏を再興し、その際、南北朝期からの家臣であった宇野氏に長水城・篠ノ丸城が与えたようです。後期宇野氏は則高を初代に祐清まで6代続きました。宇野氏が赤松氏に従ったのは二代則清までで、三代村頼以降は赤松氏に対立したようです。天正八年(1570年)毛利氏に付いていた宇野氏は羽柴秀吉に攻められ、長水城・篠ノ丸城ともに落城しました。 同年、羽柴秀吉は黒田官兵衛に揖東群で1万石を与えられました。史料には山崎の城を居城としたとあり、その城がここ篠ノ丸城ではと考えられます。官兵衛が宍粟郡を確実に領した記録があるのは天正十年(1572年)以降とされ、山崎の城=篠ノ丸城は?でもあります。 天正十五年(1597年)に豊前中津12万石に転封、この頃廃城になったようです。

       主郭空堀      二の郭下の連続堀切の一つと土橋
聖山城から 左が篠ノ丸城、右が長水城
聖山城から篠ノ丸城を遠望
現地案内板より

  
段郭
  主郭東側下         主郭虎口を遠望、手前虎口郭
主郭空堀と城址碑        主郭土塁
二の郭から三の郭を見る。間に堀切     二の郭北斜面の畝状竪堀
連続堀切土橋を横から        連続堀切
連続堀切
主郭土塁        主郭北側下
主郭北段郭群のひとつ      主郭北側下
主郭北側下

近くの城・関連の城:長水城