摂津 / 滝山城



ファイルNo2743


                  中央を隔てる堀切   

@ たきやまじょう 
  別名 布引の城・多喜山城・多芸山城 

A住所:神戸市中央区葺合町
B目標地点:JR新神戸駅・布引の滝
C形式:山城  D比高:250m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・堀切・竪堀・碑・説明板
G時代/人物:鎌倉期?/赤松氏
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  新神戸駅から40分

J撮影・訪問時期:2012年08月

  

道案内 ←城跡 ←登り口

山陽新幹線新神戸駅の裏山が城跡です。駅の一階のバスのりは横のガードを布引の滝の案内に従って進みます。少し登った左手に「滝山城址」の石碑があり、そこから登ります。石段を登るとすぐに案内板があり、そこから山道に入ります。比高で250m以上を案内板に従い進むと城跡で至ります。または、遠回りにはなりますが、布引の滝の雄滝を経由して、展望広場、猿のかけ橋を経由して山道を登ると城跡です。二つの合流点から城跡までは尾根道を300mほどですが、新神戸駅から合流点までは標識には700mと書かれていましたが、もっとあるような気もします。
 
訪城備忘録

新神戸駅の裏山といっても急峻な六甲の山です。夏の8月にはきつかったです。甲子園で高校野球を観戦後に登ったのもあったのですが、喘ぎながら山道を登りました。麓の滝山城址の石碑の所(砂子橋<布引水路橋>=「レンガでできた橋/重文」の手前)から登り、塹壕のような山道を尾根に向かって登ります。なかなかきつい山道です。途中に段郭のような平坦地も認められます。布引の滝からの道との合流点からさらに斜面の細道を進みますが、左手上の尾根上は東の郭群になります。斜面の道右手に大きな竪堀が見えたところで大きく左に曲がり堀切道に入ります。この堀切の中央に案内板があります。右手を登って行くと主郭に至りますが、この右手の郭群(中央の郭群)も中央に竪堀状を挟んで、多数の段郭があります。若干土止めに石垣がされていたようでその痕跡も残ります。二の郭相当の郭を越えると西の郭群主郭です。東屋が設置してありますが、けっこう大きな郭です。この城の郭は山城でもわりと大きい郭が多いという印象で、居住性を感じます。主郭西側がさらに高くなっていて、そこに城址碑が建っています。その背後には少し不明瞭になってはいますが、二重の堀切が残ります。土塁は案内板が設置してある堀切に沿ったところに明瞭に残りますが、あとの郭には土塁はないものの、郭の平坦度は今も明瞭で、全体的に縄張が完存しているという感じです。実は東の郭群に登れませんでした。中央の堀切から20mほどの直登ですが、1リットルの飲み水も無くなっていて体が動かんという感じになってしまいました。中央の郭を見下ろすようにあるこの東の郭群は一城別郭的な要素があったようです。

城址碑
歴史

築城時期は定かでないようです。文献には鎌倉末期の北条氏との戦いで赤松則村(円心)が立て籠もったとあるようです。その後の滝山城の動静ははっきりしないようで、戦国時代に入り、三好長慶に命じられた松永久秀が大改修したとされます。永禄七年(1564年)に三好長慶が亡くなるとこの城は三好三人衆が支配し、篠原長房が入ったようです。永禄十一年(1568年)に織田信長方に攻められ落城、その後は有岡城の荒木村重の支配を受け、花隈城の支城として、池田泰長が入ったとされます。天正六年(1578年)に村重が信長に離反し、天正七年(1579年)に村重が逃亡し有岡城が落城、花隈城とともに廃城となったようです。

中央の堀切         西の二重堀切
  現地案内板より      中腹より神戸の町を望む
  
竪堀          堀切手前
   土塁           中央の郭群にあるの竪堀
中央の郭群
二の郭を見上げる      主郭   

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