因幡 太閤ケ平



ファイルNo3152

秀吉の鳥取城攻め本陣

                            南虎口と土塁・堀を横から

@ たいこうがなる 
  別名  

A住所:鳥取市百谷〜東町2丁目
B目標地点:鳥取市歴史博物館・本城山
C形式:山城  D比高:230m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・堀・竪堀・碑・説明板
G時代/人物:戦国期/羽柴氏(豊臣氏)
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  鳥取市歴史博物館から60分 3.6km

J撮影・訪問時期:2016年09月

  

道案内 ←登城口   ←城跡

山陰自動車道鳥取インタを下り、鳥取インタの信号で右折し国道29号線に入ります。 約2km先の信号で左折し国道53号線に入ります。途中、山陰本線を越えて、約5km先、市役所前の信号で右折し県道184号線に入ります。約800m先、樗路入口の信号で直進します。約600m先の右手が鳥取歴史博物館です。約100mの鳥居に右手に登城口があり、本城山までアスファルト道の山道が3.5kmほど続きます。 終点が城跡です。 あるいは鳥取城の山上の丸から尾根伝いに行くこともできますが、今回私はこのルートを通ってません。

訪城備忘録

今回登った神社からの道はアスファルト道でなだらかな山道でした。しかし、3.5kmは長かった^^; 土の道に比べ足に応えた気もします。 朝一に鳥取城を登ってから再度麓からでしたので、余計かもしれませんが。 さて、本陣跡ですが、北側は通信施設で破壊されていますが、良く残っていると言えます。主郭にあたる郭はサーカー場が入るんかくらいの規模の広さで、周囲を土塁と空堀が巡ります。虎口は二箇所で、登ってきた最初の東側虎口と南側が大手のようですが、その2ケ所です。いずれの虎口も外側の堀に土橋が良く残っています。南虎口の両サイド、南東側には張出郭があり、内部がすり鉢状になってます。 南西側は張り出しら櫓台のようで、郭には城址碑があります。 この主郭以外は斜面に小郭が南斜面、西斜面に続くようですが、草木が多くて見られません。それよりは、鳥取城に続くトレッキング道には秀長の陣、それに続く750mにも及ぶ防衛線となる二重空堀などが続いているようですが、体力的にそこまで行けずで断念しました。しかし、この本陣は郭内は非常に大きく、周囲を巡る土塁、空堀などしっかり残っていてすごいです。

城址碑
歴史

天正九年(1581年)、鳥取城攻めの際に羽柴(豊臣)秀吉が築いた陣城の本陣です。現在は本陣山と呼びますが、当時は帝釈山と呼ばれたようです。秀吉はこの本陣を中心に北に秀長の陣などを配して鳥取城を取り囲んだようです。鳥取城は4ケ月で落城しました。


東虎口                     南虎口(大手)

現地案内板より
鳥取城山上の丸(久松山より太閤ケ平(本城山)
  
東南側すり鉢状張出郭と土塁
東南側の堀
南虎口(大手)虎口と堀・土橋
南西側櫓台
西側土塁・堀
主郭内を西から東虎口方向

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