出雲 松江城



ファイルNo3149

五番目の国宝現存天守

                            

@ まつえじょう 
  別名 千鳥城 

A住所:松江市殿町
B目標地点:
C形式:平山城  D比高:−m 
E現況:公園、市街地

F遺構等:郭・現存天守・復元櫓・石垣・水堀・土塁・碑・説明板
G時代/人物:江戸期/堀尾氏
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  大手前駐車場から15分

J撮影・訪問時期:2016年09月

  

道案内 

山陰自動車道東出雲インターから松江道路から国道432号線を進み、あるいは、国道9号線で相生町の信号から県道21号線に入ります。 約600m先で新大橋を渡ります。新大橋から約600m先、米子町の信号で左折、県道260号線(大手通り)に入ります。800m先が大手門です。
 
訪城備忘録

現存天守12城の内、11城目に訪城しました。 最後に残った弘前城はたぶん私は行けないやろな^^; 5番目の国宝となった天守です。 堀尾氏が築いたこともあり、まだ、戦国の匂いの残る黒い天守です。実物は思った以上に大きな天守だなというのが印象でした。我地元、彦根城のような戦術的な防御(堀切、登り石垣・竪堀)は無い感じです。水堀と高い石垣が城全体を守っているという感じです。

城址碑
歴史

この地には鎌倉期より末次城(末次土居)があったとされます。末次氏は宇多源氏の流れ、佐々木氏の流れのようです。山名氏、尼子氏などに従っていたようですが、戦国前期に毛利氏に攻められ落城したようです。
慶長五年(1600年)、関ヶ原の戦い後、月山冨田城に堀尾吉晴、子の忠氏が24万石で入封しました。慶長十二年(1607年)、亀田山(末次城)に築城を開始し、慶長十六年(1611年)に完成しました。寛永十年(1633年)、堀尾忠晴が死去、堀尾家は無嗣断絶となりました。代わって、寛永十一年(1634年)、京極忠高が入封、さらに、寛永十五年(1638年)、松平直政(結城秀康の三男)が信州松本より18万6千石で入封し、松平氏は明治維新まで続きました。

国宝指定書

水手門石垣                荒神櫓下石垣
天守
現地説明板より
松江城
北の丸付近石垣 
北の門横より天守見る              北の門付近石垣
乾櫓                         北の門
天守を西側から
天守
武具櫓付近から天守           荒神櫓下石垣(上から)
天守
天守
一の門
武具櫓石垣と天守              荒神櫓下石垣から天守
武具櫓石垣付近石垣
本丸東下石垣                 大手門石垣
二の丸石垣
大手門石垣(手前)と太鼓櫓(復元)
二の丸石垣
内堀周囲
左:南櫓(復元)、右:中櫓(復元)                       内堀石垣
水堀と石垣
搦め手側水堀
東側水堀             北惣門橋(復元)
水堀と石垣
武家屋敷がある堀端の道
武家屋敷                   −
天守内部
天守から乾櫓跡を見る

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