備中 撫川城



ファイルNo1514

元々はひとつの城が江戸期にふたつの城(陣屋)に分離した変わった城史を持つ城

               南西角石垣             

@ なつかわじょう 
  別名 芝場城・撫川陣屋 

A住所:岡山市北区撫川
B目標地点:撫川城址公園(三神社)
C形式:平城  D比高:ーーm 
E現況:公園(神社)・宅地

F遺構等:郭・石垣・水堀・土塁・碑・説明板
G時代/人物:戦国期/三村氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  庭瀬城駐車場から5分(200m)

J撮影・訪問時期:2003年11月・2020年01月

  

道案内 

山陽自動車道の岡山インタを下り、国道53号線を南下します。約2.5km先の信号で右折し、約600m先の信号で再度右折して国道180号線に入ります。笹ケ瀬川沿いを約1.8km先の矢板の信号で右折し、約300m先の樽津東の信号で左折し国道180号線新道(岡山西バイパス)に入ります。約4.5km先の西長瀬の信号で右折し県道162号線に入ります。約2.8km先で山陽本線を越え、さらに約1km先が庭瀬の信号で、左折します。約400m先(庭瀬駅手前)の十字路で右折し約300m先のT字で右折し道なりに約200mほど行くと左手水路の中に突き出したようにある清山神社(庭瀬城)です。さらに約100m進み、変形十字路を左折し約100mほどで道が右に曲がり、約70m先で再度道が右に曲がると撫川城址公園(撫川城)です。
 
訪城備忘録

元々はひとつの城だったものが、いろんな変遷があり、江戸期には撫川陣屋と庭瀬陣屋というふたつの陣屋が200mの間に存在したという変わった城史を持つ城です。この一帯は元々沼であったようですが、今は住宅が密集しています。しかし、住宅地の各所に水路が今も残っています。おかげでか、周囲の道が狭い。^^; すれ違うのも苦労するような道があって県道162号線、庭瀬の信号の先の中田十字路の信号を過ぎたあたりから左手に入るのがとてもシンドイです。撫川城は城址公園・神社になっていて西側、南側に天正期のいい感じの野面積みの石垣が残ります。北西端の石垣は少し張り出していて櫓台跡のようです。城址公園の正面には知行所の門が移築されていてなかなか雰囲気がいいです。この手前がやや広く車は数台停められます。庭瀬城は清山神社のところが水路側(ここだけ水路幅が広い)に突き出していて、そこに説明板と城址碑がありますが、遺構的には周囲の石垣が江戸期のものか?ですが・・・。説明板の道路反対側に4台ほど停められる駐車場があります。庭瀬城の200m北側、本町公民館あたりは庭瀬湊跡であり、説明板と常夜灯が復元されています。

説明板
歴史

永禄二年(1559年)三村家親が築いたとされます。天正三年(1575年)に三村元親の備中松山城で毛利氏に攻められ元親は切腹し三村氏が滅亡、撫川城は毛利氏の城となり、井上有景が入り、毛利氏の境目七城のひとつのなりました。天正十年(1582年)、羽柴秀吉が備中高松城を攻めた際にこの城も攻められ、その後は宇喜多直家の所領となりました。天正十四年(1586年)、宇喜多氏の家臣の岡利勝が城を改修し、今見る石垣の城になったようで、重臣の戸川達安が所領しました。関ケ原の合戦後、宇喜多氏を離反した戸川達安にこの地が与えられ旧二の丸側に庭瀬城を築きました。延安七年(1679年)、四代の安風が死去し戸川氏は改易されましたが、安風の弟の戸川達冨は5千石を与えられ、撫川城本丸側に撫川陣屋を設け、東側(庭瀬城側)は放棄しました。元禄十二年(1699年)、旧二の丸は板倉重高が上総高滝から2万石で入封、庭瀬陣屋となりました。その後、ともに明治維新まで続きました。

撫川知行所総門の移築     土塁
周辺案内板
  
移築門(撫川知行所総門)
本丸と移築門(南側)
本丸石垣(西側)
本丸石垣(左端の石垣張出は櫓台)
本丸石垣(西側)
2003年当時
庭瀬城 1515  
@ にわせじょう 別名 芝場城・庭瀬陣屋 A住所:岡山市北区庭瀬 B目標地点:清山神社
C形式:平城  D比高:ーーm E現況:公園・神社・宅地
F遺構等:郭・石垣・水堀・土塁・碑・説明板 G時代/人物:戦国期/三村氏 H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:庭瀬城駐車場から1分
J撮影・訪問時期:2003年11月・2020年01月

清山神社周辺が浮島のようになって水路に突き出した感じであり、周囲を石垣が巡ります。
主郭      庭瀬港跡水路
2003年当時
2003年当時
妹尾陣屋(戸川陣屋)せのう 1516  
@ せのうじんや 
  別名 戸川陣屋 
A住所:岡山市南区妹尾
B目標地点:稲荷神社
C形式:平城  D比高:ーーm 
E現況:宅地

F遺構等:井戸・説明板
G時代/人物:戦国期/三村氏
H満足度:

I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
J撮影・訪問時期:2003年11月
庭瀬城の戸川達安、子の正安が庭瀬藩二代藩主、正安の次男の安成が妹尾に1500石を分与され陣屋を築き、庭瀬戸川氏は改易された後も明治維新まで続きました。遺構は井戸が残るのみです。近くの盛隆寺に戸川氏の墓所があるようです。

近くの城・関連の城: