甲斐 獅子吼城



ファイルNo2661

コンパクトの城ながら石垣が楽しめる城跡

         中腹の石積み    

@ ししくじょう 
  別名 江草城 

A住所:北社市須玉江草
    旧:北巨摩郡須玉町江草

B目標地点:
C形式:山城  D比高:130m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・石垣・堀・竪堀・堀切・説明板
G時代/人物:鎌倉・室町期/江草氏・今井氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  尾根登城口から10分<比高50m>
J撮影・訪問時期:2011年07月

獅子孔城 石垣

  

道案内 ←登り口 ←城跡

中央自動車道の須玉インタを下り、インター前の信号を右折し、国道141号線に入ります。2.8km先の西川橋西詰の信号を右折し県道601号線に入ります。7km先で県道23号線に合流し県道23号線を塩川沿いに進みます。800m先で右折し橋を渡ると城跡の案内がありますので左折し山道を登ります。1.3km先、尾根まで登ると右手に民家が数軒あり、手前の道を右折すると城跡の案内板があります。この裏手の尾根道を進むと城跡です。
 
訪城備忘録

登城口から尾根下沿いの道を少し入ると、左手に堀切、右手に竪堀が目に入ります。さらに進むと、岩がゴロゴロ、石積みもところどころに残り、気持ちが高揚します。中腹に掘底道と思われる堀が円弧を描き、その先に石積みに補強された郭が明瞭です。石段と思われるとこらもあり、それを登ると主郭です。主郭はだた広いだけという感じですが、全体的には小さな城跡ですが、登城口からは比高もさほど無く、石垣があるだけで得した感じのする城です。

登場口の案内板
歴史

築城時期は定かではないようです。鎌倉末期の天応二年(1320年)に信田小右衛門実正、小太郎実高の親子がこの城で討死したという史料があるます。応永年間(1394〜1428年)には武田信満の三男の江草兵庫助信泰が居城したとされ、信泰が死去後は今井氏の居城となりました。武田信虎の時代よりは武田氏ののろし台のひとつであったようですが、天正十一年(1583年)、前年に武田氏が滅亡し、甲斐を北条氏と徳川氏で争った天正壬牛の乱では北条氏方の城でありましたが、徳川氏勢に攻められ落城したようです。その後、和睦が結ばれ、廃城になったようです。

中腹の郭と石積み        主郭  
現地説明板より      根古屋神社
  
堀切          尾根道          竪堀
中腹の掘底道
中腹の石積み
城跡遠景        中腹
北社市明野 ひまわり畑

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