武蔵 戸倉城



ファイルNo2359

          主郭  

@ とくらじょう 
  別名 小宮城 

A住所:あきる野市五日市町西戸倉
    旧:西多摩郡五日市町

B目標地点:神明神社
C形式:山城  D比高:210m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・竪堀・土塁・説明板
G時代/人物:戦国期/小宮氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  神社から25分
J撮影・訪問時期:2009年12月

  

道案内 

圏央道のあきるのインタで下り、国道411号線を青梅方面に進みます。1km先の油平の信号で左折し都道7号線(睦橋通り)に入ります。7km先、武蔵五日市町駅前の信号で左折し都道33号線(檜原街道)に入ります。3km先の小中野の信号を越え、500m先の戸倉の信号を越えて500m先の戸倉新道の信号で左折し、すぐの路地を右折し、さらに次の右手路地を右折しY字を右手方向に進むと突き当りが神明神社(八雲神社)です。鳥居前に神社の社務所兼自治会館があります。
 
訪城備忘録

鳥居の横に説明板が立っています。この裏手(山に向かって左手)の山道を登って行くと城跡まで至ります。私は、なにを考えたか自分でも・・・ 右手の神明神社から尾根筋を登ってしまいました。最初は道があったんですが、途中からは直登状態で・・・。しかし、山中には竪堀のような窪みや監視の郭を思わせる平坦地も認められました。比高150mほどで平坦となり、登城道と合流しました。この平坦地も郭かもしれません。ここから一気に城跡のある尾根に急坂を登ります。最後は竪堀横を進んで主郭下の平場に至ります。主郭には左手方向に二段の郭を登ると到達します。さほど大きくない主郭ですが、眺望はすばらしく、櫓台かなと思われる段もありました。いったん主郭下の平場に下り、西の細尾根を進むと出丸です。ここも広いとは言えませんが、削り残しの土塁があり、北へ竪堀が落ちていて、西側下には堀切がありますが、竪堀も堀切も薄いです。登城道を登ってくればさほど大変な城ではありませんし、こじんまりした山城でした。

歴史

15世紀に武州南一揆の一員であった土豪の小宮氏が築城したとされます。天文十五年(1546年)に滝川城を北条氏照に大石氏の家督とともに譲った大石定久が隠居城としてこの城に移ったとされます。定久は山頂ではなく麓の光厳寺付近を居館としたようです。その後は武田氏に備えて、北条氏の八王子城と楢原城の中継の城として機能しますが、天正十八年(1590年)に廃城になったようです。

主郭櫓台?     竪堀横の登城道
  出丸       出丸の堀切
  
現地説明板より     主郭の眺望
麓の説明板         城跡遠景

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