相模 中和田城



ファイルNo3453


               空堀             
@ なかわだじょう 
  別名 泉親衡館 泉館 泉小次郎館 

A住所:横浜市泉区和泉中央南4丁目22
B目標地点:泉中央公園
C形式:丘城  D比高:20m 
E現況:公園・雑木林

F遺構等:堀・土塁・池・説明板
G時代/人物:鎌倉期/泉氏
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  2分

J撮影・訪問時期:2018年09月

  

道案内 ←駐車可能

大和市深見で国道246号線から国道467号線に入り南下するか、藤沢市花ノ木で国道1号線から国道467号線に入り北上します。 国道246号線側から約11km先、国道1号線側から約12km先の長後小学校入口の信号から長後街道を東進します。約900m先の高鎌橋の信号で県道22号線に合流します。約1.4km先左手の泉区役所前を通過し、約400m先の中和田小学校を越えて路地に右折します。小学校沿いを進み、約400m先で右折し、約100m先で左折します。約200m先が泉中央公園です。そのまま約100m進んだ左手は長福寺墓地でここの駐車場をお借りしました。

訪城備忘録

城跡は公園となってますが、東端に三日月状の空堀と土塁が残ります。この空堀、ひとつは浅いですが二重空堀の感じで浅い側の空堀の北側には土橋の痕跡も認められます。さらに南側下に池があり、これは馬洗い池とされます。周囲から見ると公園のある所は小高い丘の感じです。公園までは住宅地で道が狭いし、駐車場が無いので注意して訪城された方がいいです。短い時間でしたら長福寺の墓地駐車場をお借りして見学も可能かと思います。

説明板
歴史

泉小次郎親衡は信濃の住人と言われ信濃源氏の流れと言われます。御家人となりここに館を構えていたものですが、建暦三年(建保元年・1213年)、鎌倉幕府二代将軍の源頼家を殺害し実権を握った北条義時に対して、頼家の遺児の千寿を擁して反抗を計画しますが事前に露呈し失敗、親衡は逃亡し行方知れずとなり、この計画に加担した和田義盛らは捕らえられたものです。

馬洗い池       土塁と手前は堀
  
土塁      堀
堀の土橋の痕跡?      土塁と堀
空堀と土塁
馬洗い池

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