陸奥磐城 三春城



ファイルNo2628

滝桜と合わせて桜が綺麗

                          石垣  

@ みはるじょう 
  別名 舞鶴城 

A住所:田村郡三春町大町
B目標地点:三春町役場、三春小
C形式:平山城  D比高:60m 
E現況:公園、公共施設

F遺構等:郭・石垣・堀切・土塁・説明板・碑
G時代/人物:戦国期/田村氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  駐車場から6分

J撮影・訪問時期:2011年04月

  

道案内 

磐梯自動車道の船引三春インタを下り、国道288号線に左折します。2.8km先の信号で右折し県道300号線に入ります。750m先の信号で直進、県道40号線になります。200m先、三春町保健センターの手前で右折し坂を登ります。500mほど進むと逆V字に右に登る道があります。この先が駐車場です。
 
訪城備忘録

滝桜を見た後で訪れました。大河ドラマの「独眼流正宗」の印象が強く、愛姫(正宗の妻)の生誕地という記憶が強いのですが、江戸期も続いた近世城でした。主郭下斜面に大きな石垣が残存し、二の丸と本丸大広間との段差斜面、本丸への虎口などにも石垣の痕跡が確認でき、本丸の東側斜面にニ〜三段の石垣の列が残っています。近世の城になってますので、本丸、二の丸はわりと広い空間です。居館は現在の三春小学校にあったようです。この日は雨模様で天気はよくありませんでしたが、靄と桜がいい感じでした。

城址碑と説明板
歴史

永正元年(1504年)、田村義顕が築城したとされますが、それ以前から城があったともされます。義顕の孫の清顕の娘が愛姫です。天正十八年(1590年)、小田原の役に参陣しなかった事で田村氏は改易に成り、三春は会津領の一部と成ってましたが、寛永五年(1628年)に松下長綱が三万石で入封するも、寛永二十一年(1644年)に改易されました。翌、正保ニ年(1645年)に秋田俊季が五万五千石で入封し、秋田氏が明治維新まで続きました。

本丸虎口                 麓の削平地と桜
本丸東側石列               本丸南側石列
二の丸                   本丸大広間
本丸下郭の下の石垣
正面一段高いところが本丸
本丸からの眺望
本丸からの眺望
三春滝桜  

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