武蔵 東方城



ファイルNo2666

      土塁    

@ ひがしかたじょう 
  別名 

A住所:深谷市東方
B目標地点:幡羅生涯学習センター
C形式:丘城  D比高:10m 
E現況:雑木林

F遺構等:郭・土塁・堀・碑
G時代/人物:室町期/−−
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  2分

J撮影・訪問時期:2011年08月

  

道案内 

関越自動車道の花園インターを下り、国道140号線に入り、熊谷市内へ向かいます。15km先、熊谷警察署前の信号で左折し国道17号線旧道に入ります。8km先東方の信号で右折します。500m先も直進して県道263号線に入ります。さらに、700m先の幡羅生涯学習センターの信号で右折します。250m先の2本目の路地を左折し、150m先の路地をまた左折します。(1本目の路地では細くて車が入りにくいためコの字で進みます) 200m先、右手に城址碑があり、その上が城跡です。
 
訪城備忘録

県道から100mほど入った茂みが城跡ということになります。城内は藪状態ですが周囲を巡る土塁が残ります。また、県道側には堀の痕跡と思われる箇所が残っています。土塁の上を歩いて行くと、土橋風の箇所を抜けると民家の裏手のような箇所に出ました。この辺も城跡だったんでしょうなぁ。車で入ってきた細い道は城跡のあるところで切り通し風になります。堀跡なのかもしれません。城域はこの場所だけではなく、この周囲一帯が城跡のようです。

城址碑
歴史

上杉氏の支城とされますが詳細はわからないようです。天正十八年(1590年)、徳川家康の関東の移封の際に、ここには松平康長が置かれましたが、慶長七年(1602年)に康長の移封により廃城になったとされます。

堀の痕跡?     切通し
集落側から城跡の茂み    県道側から見た城跡
  

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