安芸/ 高山城



ファイルNo2011

沼田(ぬたの)小早川家の本城

               高山城遠望(新高山城から)  

@ たかやまじょう 
  別名 古高山城・妻高山城 

A住所:三原市本郷町本郷〜高坂町真良
    旧:豊田郡本郷町

B目標地点:
C形式:山城  D比高:180m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・石垣・堀切・竪堀・(説明板)
G時代/人物:鎌倉期/小早川氏
H満足度: 凸凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  中腹の住宅街(本郷北4丁目付近)から20分

J撮影・訪問時期:2008年10月

  

道案内 ←城跡  ←登り口

JR三原駅から国道2号線を8km先、本郷大橋東詰の信号で右折し県道33号線に入ります。500m先、本郷橋東詰の信号を超えてすぐに右折します。300m先を左折し、120m先、JR山陽本線本郷駅横で線路を渡り、本郷小学校横を過ぎます。住宅街を中腹まで登ります。塔の岡集会所の北東100m、天理教沼田分協会の上に小さな工場があります。この横から登ります。正式な登山ルートは山の北東側にあるようです。  

<さらに高速道で来る場合は山陽自動車道の本郷インタを下り、県道82号線を左折します。1km先、船木大橋東の信号を右折し県道33号線に入ります。4km先が本郷橋東詰の信号です。>
 
訪城備忘録

本来の登城道ではなく、南斜面の中腹まである住宅地を進み、住宅街の一番上の道から山に入りました。案内標識はありませんが、墓地を過ぎると、登山用の杖が数本置いてありました。途中で道は岩場になり、チェーンが設置してあります。比高で100mほど登ると南丸の竪堀のところに出ます。

この城は出丸、南丸からイワオ丸を越えて鐘の丸、太鼓丸、さらにその先の郭の尾根ラインと、北側にいったん下りて(馬場と称されている)鞍部から北の尾根側の北の丸・二の丸・本丸・扇の丸側の尾根に分かれています。二つの尾根の高低はほど同じ高さで二つの城が平行してあるように感じられます。イワオ丸、北の丸、二の丸、本丸は非常に広く、山上の城郭とは思えない広さに驚きました。要所の郭は草刈がされており、大変見学しやすくなっていました。南丸の大きな土塁の外側に石垣が残っています。イワオ丸はやや傾斜がありますが大きな郭で千畳敷のようです。北側下には石垣が残ります。さらに西に進むと、いったん下り再度登ると鐘の丸・太鼓丸・西の丸となります。この辺から新高山城も望めます。イワオ丸まで戻り、標識に従い本丸方面へ斜面を下ります。この斜面は道が崩壊しており、少々危険です。安全には南丸の堀切から北へ下る道で行くほうが安全です。イワオ丸から下りた鞍部は大きな平坦地で、案内では馬場に言うことになるようです。再度登ると、大きな段郭が数段あり、その先の北側に北の丸、南側に二の丸、本丸、扇の丸と続きます。城域を一周するには小一時間はかかりますが、中世城郭を充分に楽しめました。

沼田川越しに城跡遠望
歴史

鎌倉初期、源頼朝に従った土肥実平の孫の小早川茂平によって築城されたとされますが、史料に最初にこの城が出たのは建武五年(1338年)であったとのことです。沼田小早川家の本拠として続き、天文十九年(1550年)に沼田小早川家の当主の繁平が盲目であったため、竹原小早川家に養子に入っていた毛利元就の三男の隆景が沼田小早川家に養子で入り、両小早川家をひとつにしました。隆景は天文21年(1552年)に新高山城を築いて、高山城は廃城になったとされます。

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イワオ丸下石垣      本丸
南丸      太鼓丸
  
   新高山城麓から遠望     山腹鞍部(馬場)   
城跡中腹からの眺望

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