丹後 中山城



ファイルNo3254


                            連続堀切のひとつ

@ なかやまじょう 
  別名  

A住所:舞鶴市中山〜水間
B目標地点:東雲駅
C形式:山城  D比高:60m 
E現況:山林

F遺構等:郭・連続堀切・竪堀・碑・説明板
G時代/人物:室町期/一色氏・沼田氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  20分

J撮影・訪問時期:2017年05月

  

道案内 ←登城口  ←城址碑・説明板  ←城跡

舞鶴若狭自動車道の舞鶴西インターを下り、舞鶴西インターの信号を左折し府道27号線に入ります。堀トンネルを越えるとジャンクションになっていて、国道27号線を舞鶴当面に向かいます。約6.5km先、大手の信号で左折し国道175号線に入ります。約5km先で右折し府道568号線に入ります。念仏峠を越えて右折から約5km先の右手が八幡神社で歩道が広くなってるため、車の場合はここに停めます。城址碑と説明板は200mほろ戻った橋のそばの府道沿いにありますが、すでに周囲は藪化してました。以前はここから登る道があり、参道にもなっていたようですが、今は完全に藪化してます。城跡に登るには、八幡神社から100m東雲駅側に行き、酒造メーカーと廃校になった小学校の間の道に右折します。L字クランクの道を行くと(酒造メーカーの裏手)中山公民館と中山霊園があり、その真ん中をまっすぐ山に入ります。最初は藪ですがすぐに道が現れます。今は使われていないような荒れた道です。これを登りきると尾根の北端の墓地に至ります。尾根の一番上の墓石列から南に尾根を進みます。藪化した堀切を2条抜けると主要部に至ります。2条目の切岸は高いです。

訪城備忘録

南北に長い比高で60mほどの小山に城跡はありました。4連続堀切を含め、堀切を多用した典型的な連郭式の城でした。登城道は道案内の通りですが、山に入るところが藪になっていて最初は判りませんでした。城址碑・説明板のところの旧参道の道を登りましたが、すぐにすごい藪になります。中腹にコンクリート階段もありますが、朽ちてます。結局のところ直登になりました。 尾根に登りきると明瞭な堀切があります。南端の郭から4条連続の堀切の3条目のところと思います。南端の郭は藪化しているようで連続堀切も含めてあきらめました。 2条の堀切を越えると主郭の郭です。その先に大きな鞍部状になっていて大堀切というより郭という感じです。再度登ると北側の郭です。北側の郭の尾根上には堀切が3条ありますが藪化していて見通しは悪いです。ただ、切岸は高いです。最後の堀切を越えると墓地に出ました。ここから道を下りて行くと公民館の前でした。ここが居館跡のようです。

城址碑・説明板
歴史

築城時期、築城者ともに不明のようです。一色氏の支城として機能し沼田幸兵衛清延が城主であったようです。一色左京太夫義道は天正七年(1579年)に建部山城を明智・細川氏に落とされ中山城に逃れたもののここで自刀しました。その後、丹後に入国した細川氏と一色氏は和睦をしますが、天正十年(1582年)には義定(義道の子)が謀殺され、義清(義道の弟)は抵抗の末、自刀したとされます。 その後、中山城は細川氏の田辺城の支城として機能したようですが、慶長五年(1600年)の関ヶ原の戦い後に細川氏が豊前小倉に移封にともない廃城になったようです。

連続堀切北端の堀切
近くの夕日
  
帯郭           堀切
鞍部
北の郭                北の郭下堀切
北の郭下堀切
北の郭下堀切
北の尾根の堀切
居館跡から城山            八幡神社から城山

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