山城    雲母坂城



ファイルNo2951


           平坦地

@ きららさかじょう 
  別名 修学院雲母坂城

A住所:京都市左京区修学院梅谷
   ・修学院杉谷・音羽谷

B目標地点:
C形式:山城  D比高:200m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁?・竪堀?
G時代/人物:鎌倉期?/ー氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  白川通りから40分

J撮影・訪問時期:2015年03月

  

道案内 ←登城口   ←城跡

銀閣寺そば今出川通りと白川通りの交差点「白川通今出川」の信号から説明しますと、白川通りを北に進みます。2.4km先「白川通北大路」の信号を直進します。さらに2km先、音羽川の橋の信号を右折します。(登城口には付近に駐車場がありませんので、車の場合は、この音羽川の信号400m手前の銀行横の100円パーキングなどに駐車されることをお勧めします。) 音羽川沿いに1kmほど歩いて行くと修学院の南東側から登城口があります。

訪城備忘録

登城口から修学院沿いに塹壕のような道を比叡山に向かって登ります。修学院のフェンス沿いに塹壕を登って行き、左には修学院のフェンスが続きます。やや斜面がゆるやかになったところに右手土塁の向こうに平坦地が見えます。ここに入り、左手上の平坦地に登りきったところが主郭のようです。 ここを行きすぎると、一騎がけのような細尾根にあります。 城跡は主郭の北下に緩斜面と虎口郭のような土塁が残る平坦地があり、さきほどの登山道から入った平坦地を右手に下りて行くとやや平坦度がない広い郭、その先端に畝状竪堀状に竪堀風の地形が3条ほどあります。さらに、東斜面は虎口郭のような土塁状に囲まれた箇所、その下に古道のような古い道跡があります。 主郭の東下斜面にも土塁に囲まれた小さな郭のようなものがあります。古道が入り組んでいるようにも見え、どこまで城としての遺構なのかわからないです。なお、城跡からさらに比高100mほど登ると水飲対陣碑があり、ここは千種忠顕が戦死した場所とされます。この碑のあるところは東山のハイキング道の交差する箇所で、碑のある所は手前の一騎駈けの細尾根を挟んだ右上の尾根には平坦地があり、もしかしたら足利軍がいたのかも。また、細尾根は右下を覗くと清流の流れが見えます。この碑の所からさらに比高200mほど登ったところに千種忠顕卿戦死之地という大きな石碑の建っている箇所があります。

 
木に括られた城跡標識
歴史

築城者、築城時期は不明のようです。ここの城が名に出るのは、建武の新政後、足利尊氏は後醍醐天皇から離反し、建武三年<延元元年>(1336年)、いったん九州に落ち延びます。その後、反転し、て京都に迫った足利軍の中で、雲母坂では尊氏の弟の足利直義と千種忠顕が戦い、忠顕はこの地で戦死したとされます。

主郭          主郭北下虎口風
   主郭北下緩斜面      主郭東下土塁に囲まれた小郭
南の平坦地の東下古道?    古道?の上の郭?
畝状竪堀状斜面
城跡地域先の細尾根       塹壕状の登山道
  
水飲対陣之碑        対陣碑の手前の細尾根
細尾根手前右上の平坦地     平坦地の東側の堀切状
千種忠顕戦死之地の碑      比高400mくらい地点からの眺望
水飲対陣之碑近くからの眺望

近くの城・関連の城:一乗寺山城