丹波 島城



ファイルNo1631

山城にある虎口郭がめずらしい・畝状竪堀も明瞭に残る城

                         三郭の平虎口 2006年  

@ しまじょう 
  別名 

A住所:南丹市美山町静原〜島
    旧:北桑田郡美山町 

B目標地点:美山かやぶきの美術館 
C形式:山城  D比高:150m 
E現況:山林 

F遺構等:郭・土塁・堀切・畝状竪堀・説明板 
G時代/人物:戦国期/川勝氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
 「美山かやぶきの里」横の林道経由で30分

J撮影・訪問時期:2006年11月・2018年05月

  
二郭 2006年

【道案内】 ←(旧)登城口 ←(新)登城口

旧京北町周山(現:右京区京北周山町)から国道162号線で北上し約25Km先、旧美山町静原の信号で左折し、府道12号線に入り、600m先を左折し(和泉の信号の100m手前)、棚野川を越えた500m先右手に説明板がありますので、そこに旧登城道があります。新登城口は和泉の信号を左折し府道368号線に入ります。1km先由良川手前で斜め左手に入ります。200m先の左手上が「美山かやぶき美術館」です。美術館左手の方にカフェがありますが、その前に新しい林道が作られています。入ってすぐにY字でこれを左手に行き、ゲートを通って進みます。(それ以外の道は行けません) ゲードをくぐり林道を進むと分岐している林道が多くありますが基本的には右側の林道を選択して尾根に向かいます。2郭へ30分ほどで到達します。 なお、旧登城口は閉鎖されているとの情報です。新登城道は旧道に比べ傾斜は緩いんですが距離が長いんで逆に疲れます。^^;

京都縦貫自動車道からは、園部インタを下り、府道19号線に左折し進みます。6Km先で府道19号線は左折で(府道50号線との分岐点)、木住トンネルを越えて行きます。10Km先で府道19号は左折し(府道78号線との分岐点)、神楽坂トンネルを越えて行きます。6Km先で左折し府道368号線に入ります。4km先が和泉の信号ですのでその1kn手前で斜め右折で「美山かやぶき美術館」です。 



【訪城備忘録】

2006年訪城時は、旧登城口からすぐに小川を渡り、斜面を登りますが、一部道が崩壊しています。しかしながら、その先の道はしっかりとした山道でした。比高140mほどを登りきると四郭です。四郭は北の守りで、U字に土塁が巡っています。堀切を越え、5mほどの比高差があって二郭です。この城郭は北の四郭から東の一郭(主郭)まで尾根上にL字で配置されていますが、その角が二郭で、二の丸(郭)相当のようです。相当に広い郭です。ここから主郭(一郭)へは、また10mほど比高差があり、二郭からはスロープ状に登ります。二郭から主郭下の堀切まで細長い郭となっていて(細長いといっても幅はあります。二の郭中心に比べ細い)、ここの南側のみ高さ2mほどの土塁が続きます。この城は尾根上にある城ですから、土塁の向こう側は当然急斜面です。この土塁の役目は三郭への横矢あるいは登城道への睨みのためでしょうか。主郭は幅20m長さ50mくらいの細長い郭です。残念ながら主郭(一郭)は藪状態で見て廻れない状態です。主郭の東側は段郭が2段ほどあり、その先に畝状竪堀があります。ここも藪状態ですが4条ほど確認できました。戻って、二郭の南側下10mのところに、20m四方で土塁が巡り、西側に虎口が残る郭(三郭)があります。虎口郭というべき、あるいは、変形の角馬出し風です。この虎口の外側にも畝状竪堀が5条ほどありますが、この竪堀は主郭の東側の畝状竪堀に比べ明瞭な形で残ります。城域はさほど広くありませんが、各郭はけっこう広く、また、主要4つの郭がコンパクトにまとめられていて、なかなか見応えのある城でした。

2018年訪城では旧登城道は使えないとの情報のため「美山かやぶき美術館」から真新しい林道を登りました。分岐の多い林道ですが、基本は分岐は右手を登る道を選択します。途中で旧道と合流してますが、新しい林道につぶされています。新道は二郭に入ります。(旧道は四郭経由で二郭でした) 二郭はまだ整備の途中のようで乱雑な感じでした。三郭、四郭は木々の伐採など整備されて以前より見やすくなってました。三郭外側の竪堀も見やすくなってました。三郭は前回訪城時は二郭への虎口郭、あるいは、変形馬出しと思っていたんですが、木々が伐採されて改めて見ると結構広い。馬出し・虎口レベルではないっすね。主郭も以前よりは見やすいですが、郭は広いですが、三郭、四郭に比べて技巧的とは言えず見劣りします。しかし、10数年ぶりの訪城ですっかり以前の記憶が飛んでました。^^;三郭の平虎口だけが記憶に残ってました。

2013年8月、城とは関係ないんですが、美山のかやぶきの里に行ってみました。日本の原風景とひとつですね。思った以上にかやぶきの家が多く保存されていました。白川郷(岐阜)・五箇山(富山)や大内宿(福島)とは趣も異なり、昔の農村風景という感じです。

【歴史】

天文年間から天正年間に、秦河勝(飛鳥時代の秦氏)を祖とすると称していた川勝氏が築城したとされます。川勝豊前守光照の名があります。川勝氏はここ野々村庄を支配し、足利氏〜織田氏〜豊臣氏〜徳川氏と順次従ったようです。織田氏の時代は明智光秀の丹波侵攻には早くから従ったと伝わります。江戸期は旗本として存続したようです。


 
  
主郭下堀切
  
四郭
  
三郭全景(周囲に土塁)
三郭外側の畝状竪堀の一つ
四郭全景(周囲に土塁)
  
現地案内板より
二郭より眺望
美山かやぶき美術館

近くの城・関連の城:

          

二郭       二郭の土塁
三郭を横から見る      三郭と土塁
三郭虎口
三郭北側虎口と土塁
三郭西下畝状竪堀のひとつ
四郭方向から二郭の切岸を見る
四郭堀切
四郭
 
副郭下堀切
副郭下堀切
主郭と副郭の切岸       主郭西下副郭
主郭
主郭東下連続堀切
井戸
2006年訪城撮影
二の郭の土塁
    郭内と土塁   虎口郭(三郭) 平虎口(横から)   
 上から  虎口郭側畝状竪堀  横から
美山かやぶきの里