山城/ 聚楽第



ファイルNo1546

絢爛豪華であったろう聚楽第も今は碑ひとつ

            西側聚楽第の碑   

@ じゅらくだい 
  別名 じゅらくてい

A住所:京都市上京区一条堀川
B目標地点:正親小学校 
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:宅地等 

F遺構等:碑・移築門?など 
G時代/人物:戦国期/豊臣氏
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  1分
J撮影・訪問時期:2006年08月・2020年03月
(2006年11月・2008年11月・2016年04月・2017年01月・2019年09月・2023年01月・05月)

  
聚楽第の外堀跡と言われる窪地にある松林寺 山門につながれたワンちゃんがかわいい^^V

【道案内】  ←聚楽第の碑の場所
        ←聚楽第の碑2の場所

名神高速道路の京都南インタを下り、国道1号線を京都中心部へ進みます。3Km先の京阪国道口の信号で右折(左折は国道171号線)し、東寺前を過ぎ800m先の九条油小路の信号で左折し堀川通りに入ります。JRのガードをくぐり西本願寺前を通過し3Km先の堀川五条で国道1号線は右折ですがそのまま堀川通り(県道38号線)を直進します。3.5Km先の左手が二条城です。二条城から900m先堀川中立売の信号を左折し中立売通りを進みます。400m先の中立売智恵光院の信号の60m先の左側路地との角に碑があります。



【訪城備忘録】

碑ひとつ探すのにウロウロしました。最近、角の建物が取り壊され整地されたようですが、道路沿いにちょこんと聚楽第の碑がありました。その碑も「此付近 聚楽第」となんとも中途半端。近くの松林寺の境内は周りの土地より低くなっていて堀跡ではないかと言われています。

2006年秋の特別公開に飛雲閣の公開がありました。飛雲閣は1592年の西本願寺の創建以来のもので、聚楽第の遺構ではないという説もあります。(2020年発掘調査された京都新城からの移築と言う説も有ります。) 修復工事が長く続いていましたが完了し、2023年春にも公開がありました。

2008年秋には大徳寺の方丈が特別公開でした。方丈から石庭越しに唐門が見られました。 2012年に庁舎宿舎の建て替え時、石垣が出ましたが、現地説明会には行けずじまいで、1週間後に見に行きましたがすでに埋め戻しされてました。^^; 現在、その地点には発掘当時の写真掲載した説明板が立ってます。なお、聚楽第の碑は東側にももうひとつあります。

2023年春、修復が完了した飛雲閣(特別公開)と唐門を見てきました。鮮やかに蘇った唐門と非対称の独特な形の飛雲閣がじっくり見られました。 また、見学はしてませんが大徳寺の唐門も修復が完了し特別公開していたようです。こちらは2023年5月時点ではまだ足場が残っているようです。しかし、特別公開2千円はいくら京都と言っても高いな。^^;

   ←松林寺の位置(上京区分銅町)

  
【歴史】

天正十三年(1585年)に関白についた豊臣秀吉は、翌年より着工し天正十五年(1587年)に完成しました。城というか関白の邸宅ですが、周囲1.8Kmあり、幅30mの堀が巡らされていたようで城のなにものでもないでしょうね。天正十九年(1591年)に関白職を甥の秀次に譲り、聚楽第も秀次が継ぎました。秀吉は文禄三年(1594年)に伏見城の築城を開始、翌四年(1595年)に秀次は失脚し切腹すると、聚楽第は徹底的に破壊され、建物は伏見城へ移築されたと伝わりますが、西本願寺の飛雲閣大徳寺の唐門、妙覚寺の山門(聚楽第の裏門と言われます。)などが聚楽第の建物の移築という伝承があります。

  
  
松林寺境内
  
大徳寺方丈
  
東側城址碑
  
松林寺
松林寺
豊臣秀勝邸

近くの城・関連の城:

          

飛雲閣 西本願寺
西本願寺飛雲閣
西本願寺飛雲閣
西本願寺飛雲閣
西本願寺飛雲閣
西本願寺飛雲閣
西本願寺飛雲閣
西本願寺飛雲閣
大徳寺唐門・妙覚寺山門
大徳寺唐門
大徳寺唐門
大徳寺唐門
大徳寺唐門
妙覚寺山門