山城/ 船岡山城



ファイルNo1545

                    堀に見えるけど違うだろな@   

@ ふなおかやまじょう 
  別名 

A住所:京都市上京区柴野北舟岡町 
B目標地点:船岡山公園 
C形式:丘城  D比高:20m 
E現況:公園・神社 

F遺構等:郭・堀?・土塁? 
G時代/人物:戦国期/山名氏
H満足度:
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  近くに駐車場無し

J撮影・訪問時期:2006年08月・2018年08月

  
同:堀跡?A

【道案内】 

名神高速道路の京都南インタを下り、国道1号線を京都中心部へ進みます。3Km先の京阪国道口の信号で右折(左折は国道171号線)し、東寺前を過ぎ800m先の九条油小路の信号で左折し堀川通りに入ります。JRのガードをくぐり西本願寺前を通過し3Km先の堀川五条で国道1号線は右折ですがそのまま堀川通り(県道38号線)を直進します。3.5Km先の左手が二条城です。二条城から1.4Km先の堀川今出川の信号で左折し今出川通り(県道101号線)に入ります。1Km先の今出川千本通の信号で右折し千本通(県道31号線)に入ります。1.4Km先の千本鞍馬口の信号、この先350m右手楽只小学校でこの手前を入ります。すぐに左折しグランド沿いを進み、その先で右折すると船岡山公園の入口のひとつです。いずれにしても周囲には駐車場がありませんので、注意ください。
  



【訪城備忘録】

城跡とはいいがたい感じです。斜面に堀跡のような窪みが巡りますが遺構ではないでしょうねぇ。 後は建勲神社との間に堀切形状、境内の中に(入れませんが)本殿裏手に土塁・郭のような跡が見受けられ、「遺構 帯曲輪」という標識が立っているのが遊歩道から見えます。健勲神社は織田信長を祀り、織田信長所有と言われる鎧兜があります。(非公開) さらに、北東側遊歩道沿いに「応仁・永正戦跡碑」があります。 城には関係なんですが、船岡山公園の南側、鞍馬口通りには有形文化財の銭湯の船岡温泉、築80年ほどの元銭湯を改装したカフェ(さらさ西陣)などがあり、街歩きもおもしろいです。

   
【歴史】

応仁の乱が始まった応仁元年(1467年)に西軍の山名宗全方の城として築かれました。応仁二年(1468年)に東軍の細川勢の攻撃で小鴨安芸守は討死し落城しました。その後は使われていませんでしたが、将軍政権抗争のあった永正期、永正八年(1511年)に足利義澄方の細川澄元はここを修築し、足利義稙に備えてたとされます。細川高国・内藤貞正・大内義興らの義稙方は大軍が丹波から攻め入り、澄元は大敗したとされます。

    
  
頂上部/三角点
  
     
      石碑         神社境内の郭?土塁?
遊歩道から見える標識
  
船岡温泉(銭湯・有形文化財) <鞍馬口通り>
元銭湯のカフェ<鞍馬口通り>

近くの城・関連の城: