越中/ 高山城



ファイルNo0750

                 主郭背後南側の堀切    

@ たかやまじょう 
  別名 三瀬城・榎城

A住所:富山市婦中町高山・道島・上瀬
   
旧:婦負郡婦中町
B目標地点:音川小学1.5Km先高山集落
C形式:山城  D比高:120m 
E現況:山林

F遺構等:堀切・土塁・居館跡削平地・説明板
G時代/人物: 戦国期/寺嶋氏
H満足度:
凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  高山集落の県道沿いより25分


J撮影・訪問時期:2005年03月

  
主郭と櫓台

【道案内】  ← +は麓の登城口

富山市中心部より国道359号線で砺波方面に向かい神通川の橋より約9Km先、外輪野の信号を左折して県道59号線に入り、約600m先の下瀬の信号を右折しそのまま県道59号線を山田川沿いに山田方面に進みます。音川小学校より約1.5Km先の高山集落の県道の反対側、山田川の対岸の山頂に城跡はあります。高山集落の真ん中くらいに左へ降りる道があります。降りきると山田川を渡る細い橋があり、これを渡ると高山城の説明板があります。




【訪城備忘録】

高山城の説明板より50m先に左へ急坂を登る細い道があります。ここに音川中学の方が設置された的場の説明板があります。坂を登ると広い削平地に出ますがここは城主居館や武家屋敷・蔵があったところとなります。ここの現状(2005年3月)は昨年の台風か何かの被害で大木が軒並み倒れてしまっている状況です。とにかくここをなんとか越えると山頂に向かう山道にでました。道は急坂となりここからいっきに登りますと主郭下の郭に出ます。城内各所に音川中学の方が作られた手製の説明板が設置してあります。主郭は南側に櫓台を持ち櫓台を含め三段の削平地になっています。北側には鐘突堂と呼ばれる郭というより大土塁がありその先は深い堀切があります。さらに北側に三条の連続堀切がありその先にゆの木ケ原と呼ばれる細長い郭とその先に城内最大の郭があります。ゆの木ケ原の西端には麓よりも見えるこの城跡のシンボル的な榎が1本そびえています。この城は小さいながら主郭の南の郭との一城別郭の構造という事になります。


【歴史】

この城は神保氏の支城で富山方面の拠点であった富崎城の出城・詰城的な役割のある城です。標高190mの主郭を中心に南北の尾根上に五つの郭を配します。麓には町ケ平などの地名が残り土豪が長く居住したと考えられます。城主としては神保氏の重臣の寺嶋牛助(牛之助)と言われ、高山集落には牛助の墓と伝えられる墓石が残ります。<現地案内板より> 
 
冬の高山城遠望(2007.01)
  
北側の郭と土塁
城内最大の削平地です。
  
現地案内板より
     
  

近くの城・関連の城: 富崎城 ※

          

北の郭のゆの木ケ原の榎の木   麓から見たゆの木ケ原
主郭北側下堀切     麓の町屋削平地