越中/ 今石動城



ファイルNo0064

           主郭

@ いまいするぎじょう 
  別名 

A住所:小矢部市城山町
B目標地点:城山公園
C形式:山城  D比高:150m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・竪堀・説明板・碑
G時代/人物:戦国期/前田氏
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  林道沿い2分

J撮影・訪問時期:2000年09月・2008年07月
             2016年03月

  

道案内 

高岡方面より国道8号線にて小矢部市中心部<石動(いするぎ)>に進みます。旧8号線=現県道42号線に入り、今石動町を越え、石動駅手前の国道471号線との合流交差点を右折し、県道270号線に入ります。中央町の信号で左折し、山のほうに向かいます。200m先の商工会前の信号で左折し県道32号線に入り、100m先で右折し石動中学の横を通り城山公園に入ります。道なりに1kmほど登りを進むと逆Vの道に入ります。(ここは∧字に車を転回しにくいため公園で旋回して進むがいいでしょう)1kmほど林道をさらに登ると林道沿いに城址碑と説明板があります。
 
訪城備忘録

以前、2008年当時は藪状態で西尾根の郭の一角に模擬櫓が建っているところぐらいしか行けませんでした。 最近(2016年03月時点)、主郭を中心とした周囲が木々が伐採され、整備されていました。四方に広がる尾根上の郭群はまだ手つかず状態で入りこみにくい感じです。主郭は相当に広いという印象の真四角な郭でした。西側、南側の副郭との切岸の高低差はなかなか高いです。尾根上み堀切、竪堀は少なく、切岸主体の防御であったとの事です。

説明板と碑
歴史

前田氏、佐々氏の加越緊張時、前田氏の拠点として、前田秀継(秀次)が天正十三年(1585年)に築城しました。11月の大地震で木船城が崩壊し、その際、秀継が亡くなったため、秀継の子の利秀(利次)が天正十四年(1586年)、または、天正十五年(1587年)に木船城より移りました。文禄二年(1593年)に利秀が亡くなった時に廃城になったようです。

西側から主郭方向       主郭南下郭
現地説明板より
南の郭から主郭の切岸
   主郭切岸(東側)   2008年当時説明板(後ろは西尾根の堀切)
西尾根上の郭と模擬櫓(2008年当時) 眺望(小矢部市内)
  
城山公園

近くの城・関連の城:木船城